RAPT氏の言葉に真理はありません。その1                    ~「K」という方のブログを紹介します。~

RAPT氏を信じた私は本当に馬鹿で愚かでした。

騙された私が一番悪いのですが、黙っていられずブログ記事をしたためています。

私がRAPT氏の言葉に真理は無いと確信できたのも、「K」という方のブログを読んでのことでした。

「K」という方のブログは以下になります。                                                ~K.blog~

「K」という方は、2017年に実際にRAPT氏の教会にいた元RAPT信者になりますが、RAPT氏から工作員認定(不当に)されて教会を追い出された人になります。

「K」という方のブログに辿り着いた経緯は、約7年前のRAPT氏の祈り会の言葉の中で、「K」という方がブログをやっている、と少々馬鹿にするような感じで話していたことがありました。                                       ※「K」という方が工作員認定された後のことです。

それで私も気になり「K」という方のブログに辿り着き、読んでみました。

当然ですが、RAPT氏を批判するブログになっていましたので、初めて読んだ時は、私がまだRAPT氏に洗脳されていた時だったので、サタンの言語がビッシリと連ねられていると思いました。

単にRAPT氏に対する逆恨みからブログを書いているのだろう、と勝手に考えてしまった私は、直ちにそのブログを読むのをやめました。

ところが、2025年4月にRAPT氏が祈り会の言葉の中で「神様からもらった100個の祝福を書いて送って来なさい」と話した時から、私のRAPT氏に対する疑念が確定的となりました。

「それはいくら何でも無茶だ、俺にはもう無理だ」と感じたからです。

それまでも、RAPT氏に対する疑念は少なからず抱いていたことは確かでしたが、そう考えるのは私自身に問題があるからだと思っていました。

RAPT氏曰く「私には神様からもらったものは1000個も2000個もある(確か1万個もあるとか言っていたように記憶しています)」だそうですが、私にはさすがに嘘だとしか思えなくなってきて、再度「K」という方のブログを覗いてみました。

まあ嘘でないとしても、神からもらった祝福かどうかは他人には分かりようも無いものを、RAPT氏はきっと挙げることでしょう。

それでRAPT氏のことだから「分からない人はまだまだ信仰が足りない」とか「分からない人は神への愛が無い」とか「分からない人は御言葉を悟れていない」などと、何とでも言い様がある屁理屈を言うことでしょう。(笑)

世の中では、到底信じられない事象を人々は嘘認定するわけです。

「K」という方のブログについては、冷静に客観的に読まないと駄目だと思った私は意外にも、RAPT氏を批判している記事の内容に理路整然さを感じたわけです。

私は「確かに」「確かに」と何度も頷きながら読み続けました。

それではっきりと目が覚めました。

「K」という方のブログについて、RAPT氏を批判しているブログだと書きましたが、批判もさることながら、RAPT氏についての事実を述べているに過ぎません。

RAPT氏の矛盾を的確に突いています。

RAPT信者は間違いなく誹謗中傷だと言うのでしょうが、誹謗中傷とは事実に反して相手をののしる行為のことを言いますから、「K」という方が書いていることは誹謗中傷には当たりません。

と言いますか、誹謗中傷と言うならそれこそRAPT氏に当たり、つまり、RAPT氏による不当な工作員認定は、誹謗中傷かつ名誉棄損であり基本的人権の尊重の侵害だと思うのですが、神の人が平気でこういうことをしているわけです。

誤解の無いように願いますが、私が「誹謗中傷であり名誉棄損だ」と言っているのは、何も工作員認定を問題にしているのではなく、「不当に」という部分を問題視しているのです。

「不当に」とは、何の証拠も無いのに、という意味です。

確たる証拠があれば、工作員認定をすべきでしょうが、工作員認定する過去の祈り会の音声を、先日、客観的な視点で改めて聞き返してみても、「K」という方や他の工作員認定された人達にも、隠し事があるようにも嘘を付いているようにも感じられず、むしろRAPT氏の横暴さが際立って途中で不快になり聞いていられなくなりました。

あれは完全に決めつけによる追い込み方であり、聞く限り証拠が揃っているような雰囲気は無く、RAPT氏は完全にアウトです。

あれは完全なる誘導尋問であり、悪人のすることです。

RAPT氏が反論するとすれば、一つ挙げると「K」という方が小澤征爾(RAPT氏が言うには悪魔崇拝者の一人)と関係があることを指摘していましたが、それが工作員である証拠には全くなりません。

まあ、突拍子もなく書きますが、RAPT理論による悪魔崇拝は嘘である可能性が高く、小澤征爾も上級国民というだけであって別に悪魔崇拝者でも何でもなく、「K」という方も確かプロの音楽家の一人であったことを考えますと、有名音楽家と接点があるのはむしろ自然な事であり、従ってその関係性が工作員認定の証拠としては成立しません。

私には「K」という方の悔しさと無念さと怒りが伝わって来るような音声配信でしたし、そもそもがその時点でRAPT氏に対する信頼がなくなっていたということだと感じました。

RAPT氏の工作員認定した人たちに対するやり方は、私が過去に暴力団の一人と関係していたことだけで、警察から「お前もグルだろう」と高圧的に問い詰められたことと全く同じです。

神の啓示だと言えば何でも許されるのがRAPT氏の理論だということです。

RAPT理論で言う創価学会の有り様と重なるのは私だけでしょうか。

RAPT氏自身のためにも、削除した方がいいのではないかとさえ今では感じています。

そのブログは、決して「K」という方の感情でしたためられているわけでは無く「まさに言う通り」という内容が沢山書かれてあるのです。

RAPT氏の言葉を信じるのか、「K」という方の言葉を信じるのか、という話になりそうですが、まともな人は「K」という方が、何も突拍子なことを書いているわけではない、ということが理解できると思います。

完全なRAPT信者には公平な目で読むことは絶対に無理でしょう。

RAPT氏による洗脳が深い信者は、「K」という方のブログを読んでも、サタンとしか思わないでしょう。

「K」という方はブログの中で、サタンの存在も否定していますし、霊界の存在そのものも否定していますから、RAPT信者には到底受け入れられない内容となっているのです。

ちなみに信仰を捨てた私ですが、サタンを一切感じないほどに何も変わらない毎日、いや、逆に仕事がどんどん舞い込んで来て、少々忙しい日々を送っています。(笑)

一体サタンは何をしているのでしょうか。

信仰を捨てるとサタンの猛攻撃が来るはずなのに、約1ヶ月経っても放置状態なのですが、私がサタンの仲間入りをしたことで歓迎してくれているのでしょうか。(笑)

RAPT信者たちに、そのうち恐ろしい神の裁きがやって来る、と言われそうです。(笑)

RAPT氏に対する疑念が多少なりともありながら信仰を持ち続けているRAPT信者は、私のように目を覚ます可能性はあるかと思います。

また、「K」という方は、神の存在は肯定していますが、その神は義の神でも愛の神でも何でもなく、それこそ悪なる神で「ゴミ神」とまで書いています。

RAPT信者からすれば、完全なる神に対する冒涜であり、到底許されるべきことでは無いはずです。

従いまして、「K」という方にこそ神の裁きとやらが起きないと嘘だということになりますが、どうやら実際には「K」という方には神の裁きのようなことは起きていないようです。

しかもRAPT氏は、「K」という方に対してダンマリのようで、これも不自然な話です。

RAPT氏の活動を根幹から揺るがすようなことをしている「K」という方に対して、なぜRAPT氏は何もしないのでしょうか。

ある意味ではRAPT氏からすれば、悪魔崇拝者よりも強烈な妨害行為を「K」という方がしていると思うのですが。

実際に信仰者であった私も「K」という方のブログで目が覚めたわけで、下手をすれば多くの信者を失いかねないわけです。

そう言えばRAPT氏は、祈り会の中でも「K」という方の裁きを祈るように指示されたことはありません。

直接的に行動を起こさないまでも、信者たちに祈りで滅ぼすように指示は出来るはずです。

RAPT氏がダンマリしている理由もブログの中で説明されていますので、是非読んでほしいです。

しかしながら、「K」という方が書いている通り、RAPT氏の神が実は悪なる神だと考えた時、信仰を持ってから私に起きたことにも説明がつく、と感じたわけです。

何せ私の人生はRAPT氏を信じてからというもの、どんどん崩壊へと向かったからです。

特にRAPT氏へ献金を始めてからというもの、顕著に悪化する感じが漂っていました。

多くの人間関係を失うことになったのは、それこそRAPT氏へ献金をするようになってからです。

RAPT氏の崇拝する神が実は悪なる存在だったと仮定した時に、私に起きたことに整合性が取れるわけです。

悪なる神を崇拝するRAPT氏への献金は、それこそ不幸を自ら呼び込む行為だったというわけです。

毎月のように給料の手取りの10分の1を献金していたということは、不幸をお金で買っていた、ということでしょう。

RAPT氏の言葉が真理であれば、こうも不幸が続くわけがありません。

少なくとも私には、RAPT氏の言葉の逆が起きていたということです。

憶測の域は超えませんが、RAPT信者の中にも、私のように肉的にかなりのものを失って不幸を味わっている人も絶対にいるはずです。

そもそも、RAPT氏の教えが「肉的なものを捨てること」を強調するわけですから。

もしかして私の献金額が少なかったために「献金の額が少なすぎるから不幸がやって来るんだ」と叱られるのでしょうか。

だとすると、やっていることはカルトと同じことになりますが。(笑)

あっ、そう言えば十二弟子になるためには多くの献金が必要だとRAPT氏が話していたことがありましたが、そういうことか!!って感じです。

これ、献金は任意でよいと言いながら強制しているに等しいと思いませんか。

RAPT氏が言葉の中で、十二弟子の誕生の重要性をやかましく説くのは、そういうことだろうと思えてなりません。

ちなみに私は、必死で霊的な祝福だけを考えて生活していたわけですが、今にして思うと何と馬鹿げたことをしていたのだろうと、愚かな自分がつくづく嫌になります。

そもそも「霊的な祝福」とは何ぞや、ということなのですが。

これをRAPT氏やRAPT信者が聞けば、「あなたの義が足りないからだ」「あなたに大きな罪があるからだ」「あなたの信仰生活に問題があるからだ」「お前はサタンだ」とか、私を責める言葉しか発しないと思います。

責める言葉しか発することのできない人達から、皆さんは「愛」を感じることが出来ますか。

例えば、相手から「いやいや、あなたが全て悪いわけでは無く、私の伝え方ややり方にも問題があった」という言葉が発せられてこそ、その人から「愛」とまでいかなくても「思いやり」を感じることができるのではないでしょうか。

RAPT氏の言葉は、少しでも事態が上手くいかないとすぐに「神から裁かれる」といった、脅し文句、否定的な文句、ネガティブな文句ばかりが出て来るのです。

はっきり言いますが、RAPT氏の言葉の中で信仰者を励ます、やる気に満ち溢れさせる言葉は非常に少ないと言えるでしょう。

悪なる神ならば、むしろそうするのが道理です。

よくよく振り返りますと、RAPT氏の話の内容も抽象的で中身が薄く、神からの祝福を具体的に教えてくれるケースはほとんどありません。

「これからは神の統治する世の中になる」「これからはサタンやイルミナティは滅びていく」「これからは聖霊が激しく暴れ回る」「私は多くの祝福を神から受けている」などといった、非現実的で極めて抽象的表現と言わざるを得ません。

祝福なのかどうか分かりようも無い表現ばかりです。

本当に多くの人々を救う気があるのか疑いたくなるような表現ばかりです。

一方で神からの裁きとなると、比較的具体的なわけです。

どう思いますか。

「信仰者の不義のためにRAPT氏をこの世から取り去る」「十二弟子が誕生しなければ神の歴史を終わらせる」「不義の見せしめに飼い犬を殺した」「あなたは工作員だ」「岸田内閣が大増税に踏み切った」「孫正義が何兆円もの損害を被った」などなど、挙げれば切りが無いほどに具体的なわけです。

著名人に悪いことが起きれば=神の裁きとなり、なぜか著名人に良いことが起きても=神の祝福とはならない構図です。(笑)

おかしくないですか。

RAPT氏が常々言っていた「神は御心ならば悪人さえも使う」という理屈であるならば、「悪人に祝福を授ける」ということにもなると思うのです。

実際、現実としてRAPT理論で悪人認定された人々によって義人が祝福されるということも起きるわけですから。

と言いますか、この世の中が便利になったということがその証みたいなものでしょう。

そもそもがRAPT氏の神が悪なる存在であるならば、神の目的は悪を行うことであり、従いまして悪が具体的になるのは道理であり、一方で祝福を授ける気など毛頭なければ、祝福の内容が抽象的になるのも道理です。

誰がどのように裁きを受けた、といった話は比較的具体性があるのに対して、誰にどのような祝福があった、という話は私の記憶では一切ありません。

そう言えば、RAPT氏は「最高次元の天国に自分の霊が引き上げられた」と言っていたことがありましたが、この話を聞いて誰が物凄い祝福を神から受けたと感じるでしょうか。

そもそもこのことも祝福かどうかは他人には理解できません。

世の中の人がこのことを聞けば「凄い」と感動するどころか「この人は頭がどうかしている」と気違い扱いする人が大半ではないでしょうか。(笑)

そのように書くと、神からの祝福について「あなたはRAPT氏のことが何も分かっていない」「あなたは十二弟子の証を理解していない」「あなたは工作員だ」とRAPT氏やRAPT信者から言われそうですが、はっきり言いますが、十二弟子の証なんて神の証がその程度か、という内容のものばかりです。

世の中の神を知らない人達でも経験している人はいるだろう、と思えるような証ばかりです。

と言いますか、私でさえ過去に経験したことあるけどなあ、と感じる証ばかりです。

申し訳ないですが、ここで書くと莫大な記事の量になるので今回は控えますが、私が聞いたRAPT氏の人生についても同じようなことが言えます。

つまり、何の感動も起きない話、ということです。

もっと言えば、世の中の人達の方が余程、人々が感動するエピソードを披露できるのではないでしょうか。

「自分で会社を興し、たった1年で大企業に成長できた」「赤点を取るような成績だったのに1年後に東大へ合格できた」「野球を始めて1年程度でプロ野球選手となった」など、こういった具体的で絶対に他人には成し得ないような目に見える証を誰一人として出来ないわけです。

このような例えをすると、RAPT信者から「そんな絶対に出来ない例えを持ち出すな」と言われるのでしょうか。(笑)

そう思ったRAPT信者はアウトです。(笑)

不信仰の極みです。(笑)

いいですか、神業とは人間の不可能を可能にすることです。

「喜びに溢れるようになった」「人間関係が良好になった」「不安や心配、悩みが取れた」「病気が治った」など、この程度が神の証とは恥ずかしくないのか、と思うのは私だけでしょうか。

RAPT氏も常々「このような証は証にならない」とか「マイナスの人生がゼロになったとしても神の証にならない」と言っていたように記憶していますが、残念なことに、十二弟子の証のほとんど全てがRAPT氏の指摘に該当するものでしかなく、しかもあろうことか、その証を採用しているのもRAPT氏自身であるという、とんでもないことをやっているわけで、これを矛盾と言わずして何と言うのでしょうか。

このようなことをして、あなたがたの神に対して失礼だとは思わないのでしょうか。

私には、その程度しか証として書くことが出来ないので、これ以上私に出来ることは無く、神に対して申し訳ないので(笑)信仰を捨てたわけです。

私なんか、10年前に倒れかけた会社を立ち直らせた経験がありますが、これの方が余程、神の証として成立するでしょう。

経験者にしか分かりませんが、倒れかけたというのは、お金が無いのではなく、営業停止処分を受け犯罪者認定された会社という意味で、よって警察に潰される可能性があり、かつ、取引先の信用失墜まで行ったどん底から、警察の信用と取引先の信用を回復するのは、どれだけ大変なことか、自分の力だけで回復できるならばまだ容易でしょうが、多くの人々の助けがなければ絶対に回復できない話であって、普通は不可能に近いレベルの話で、会社を新しく作る方を選択するのが一般的ですし、当時もみんながそうするように言っていましたし、そうしない方が馬鹿だと見なされることでしょう。

しかも会社が営業停止処分を受ける原因となったのは、当時の役員の悪事によるものだったにも関わらず、私は無実の汚名を着せられ、私が悪事を行ったこととして多くの人達から責められ、そのような中で言い訳せず、信頼回復に全力を注いだわけです。

誰にでも出来ることではありませんし、RAPT氏より遥かに有益なことをしたと思いませんか。

ちなみにそれは、私が神を知らなかった時の出来事です。

RAPT理論プラスアルファに書かれてある証は、どれも証というレベルにありません。

「K」という方が書いている通り、神の力が働いたかどうか証明しようも無い自己満足でくだらない証を書く前に、誰が見ても神の力が働いたと認めざるを得ない目に見える具体的な結果で証すべきです。

こんなことは小学生にでも分かる話ではないでしょうか。

記事を書いていると、次から次に書くことが思いついて、ついつい長くなりがちになりますので、今回はこの辺りで終わらせたいと思います。

次々に記事の構想が浮かぶ????

信仰を捨てた私に神の力が働いているのでしょうか。(笑)

RAPT氏に対する疑念を持たれているRAPT信者には、是非「K」という方のブログを読んでいただきたいと思います。

RAPT氏への先入観は一旦捨てて、フラットな視点に立って読んでいただくことが必要だと思います。

「K」という方のブログの中には、RAPT氏に対する記事の他にも、様々な話が書かれてありますが、信じるも信じないも読み手の自由ですし、「K」という方はRAPT氏と違って、自分の言うことを信じなければ救われない、と脅す様なことは書かれてありませんので、安心してください。

誤解の無いように言いますが、私は、そのブログの内容全てを信じるように、かつ、正しいと思うように促しているわけでは無く、あくまでRAPT氏に関する記事を読むように勧めているだけです。

コメント

  1. イトウフミオ より:

    失礼します。kブログをお読みということで、私はkブログに書かれてる精神異常者の3人の中の1人です。kブログではこの精神異常者と載ってます。ですが酒を大量に飲んでkさんにメールしたので、もちろん酔っ払ってる私が悪いんですが、kさんは私を精神異常者と言ってましたが、これはどうでしょう?ということでその後kさんは聖書のヨブのように皮膚病になられたということですが、一応私は精神異常者というより単なる酔っ払いですので、この辺はkさんも解ってないので、一応このKさんも私がラプトさんより私が本物の預言者と名乗ってたので、酒に酔って私が悪いんですが、ズケズケ突っ込んで行きましたが、Kさんも妄想あると思います。Kさんは自分がヨブにたとえ、3人の精神異常者に会ってその後ヨブのように皮膚病になられたとのことですが、まず私は精神異常者というか、ただの酔っ払いなので、それを全て結び付けるルシファーの力だと思うので、ただ言えるのは悪の神ルシファーが存在してるのは事実だと思います。

    • ゼンシン より:

      コメントありがとうございます。
      迷惑コメントしか私のブログではコメントをして来る人がいなかったので、正直、大変嬉しく思っております。
      私はあなた様が精神異常者かどうか判断できませんが、私もRAPTの神はルシファーであると確信しています。
      そう考えますと、私に起きた出来事の整合性が取れるわけです。
      私に起きた出来事とKさんのブログで書かれていることを擦り合わせた結果で、私も信じる信じないを決めています。
      私が言う精神異常者とは、嘘を真実だと思い込んでいる人たちのことを指しています。
      その観点から申し上げますと、あなた様が精神異常者とは感じません。
      文章も丁寧ですし、書かれてある内容についても、よくあることだと感じています。
      私もRAPT信者だった時は、精神異常者として周囲に害を与える存在だったと深く反省しています。
      私はKさんのブログを全て承認しているわけではなく、私の実体験や考えていたことを踏まえてKさんのブログを紹介したに過ぎません。
      従いまして私のブログでは、Kさんの記事を直接リンク先として張るということをしておりません。
      Kさんのブログを信じるも信じないも、その方々の置かれた環境や境遇によって変わると思いますので、Kさんのブログを紹介して、興味があれば見るでしょうし、
      その人その人が信じる信じないを判断すればいいと思っております。
      ただ、RAPTに関するKさんの指摘は本当に的を得ていると感じています。
      やはり、現実と理論の比較は物凄く大切だと実感しています。

  2. イトウフミオ より:

    私は、あなたが辛い思いしたと言う事が紛れもない事実なので、私酔っ払いですが、心ついてるので、あなたが苦しい思いして生きてるのはわかりましだ。ホント同じ人として苦しい思いしてる。貴方だと思います。
    祈りですが、普通の感覚の人間であれば、イルミナティの滅びなど祈りません。今現在苦しい思いしてる人に対して祈ります。祈りの力かホントであれば、イルミナティ潰せなどと祈りません。ホントに祈るのであれば、今現在苦しい思いしてる人たちを助けてと祈るはず、ラプトはイルミナティ崩壊を祈りなさいということですが、祈るんであれば今現在苦しい思いしてる人を助けて下さいと祈るべきなんです。

  3. イトウフミオ より:

    kさんを私は批判してません。むしろ聖書の神が悪の神ルシファーと説いたので素晴らしい方と思っています。私自身番大事なのは苦しい思いしてる人だと思いますので、Kさんも今まで生きてて苦しい思いしてますし、貴方様も今まで生きてて苦しい思いして生きていますよ。ということです。普通の人間として苦しい思いしてる人黙っておけますか?と言う自分ですが何も力ないので、何もできない自分の非力さ痛感してます。

  4. イトウフミオ より:

    あとこんなことなんですが、グランドピアノがラプトに没収されたということがあったみたいたが、普通はグランドピアノって普通の民間人所持できません。普通の人間の感覚がそれぞれ違う見たいですね。あのー私は六畳一間プラス台所便所という環境で過ごしてるので、グランドピアノ無くなったと叫んでる人何ですかと思ってました。Kさんは私のグランドピアノがラプトさんに
    取られましたと言う事なんですが、それに対して普通の一般家計の人間はグランドピアノなど程遠い存在とか、言ってるわけですよ。これが精神異常者と思われるんですよ。

  5. ゼンシン より:

    祈りについて、本当にあなた様のおっしゃる通りだと感じました。
    RAPTは、なぜか上級国民の話ばかりして、肝心な実生活におけるアドバイスのような話が滅多にありませんでした。
    +αのサイトが典型で、上級国民の話ばかり書いていて非常に不快なわけです。
    あなた様のおっしゃる通りで、困っている人を助けようという気持ちがRAPTからは微塵も感じませんでした。
    キリスト教の根本は、そういった困っている人苦しんでいる人を救う教えだと思っていたのですが、そんな私は非常に愚か者でした。
    あれで愛や感謝を語られても、という思いです。
    私は、神の力によって政治家となって弱者が苦しむことのない世の中を作るぞ、と高い目標を掲げていたのですが、RAPTによって粉々に打ち砕かれました。(笑)
    確かに、自分に何ができるか、と考えた時に、私も同じように非力で何もできません。
    ただ、私はせめて、自分の身近な人たちにとって益となるように生きていこうと考えるようにしています。
    人間、そんなに偉いものでもないと思いますから。
    私の存在が周囲の安心感に繋がる人間となれれば、それだけで本望です。
    きれいごとに聞こえる人もいるかもですが。
    RAPTのような、何もできないくせに何でもできるかのように語るなんて、まさに思い上がりの象徴だと思います。
    Kさんは、私が想像するように上級国民の一人なのではないですか。
    だから一般庶民をどうしても見下してしまう習性があるのではないでしょうか。
    Kさんのブログを読んでも、確かに精神異常者と感じなくもない記事もあるのは確かです。(笑)
    ただ、Kさんが精神異常者かどうかは別として、一つ言えることは、上級国民特有の高飛車で人を見下す性質がある人なんだろうと感じました。

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