歴史が捏造された作り話である可能性を考える                           ~奈良時代から江戸時代の話のほとんどは存在しない作り話だった⁉鍵は日本紙幣にあり⁉~

今回は、トンでも推理の中でもぶっ飛んだ推理をしようと思います。

今年でこのブログの有料更新はしませんので、集大成のような記事になるかと思います。

ここに踏み込んだ私には、このブログに対して、いよいよ何らかの嫌がらせが発生するかもしれませんが、その時こそ、この主張が真実である可能性が極めて高くなることになります。

私のこれまでの歴史推理は核心を突くどころか嘘の話を検証していたに過ぎず、コメントが書かれないのも納得です。

聖書に関しても、Kさんが「新約聖書は作り話」という話をされていましたが、聖書も歴史物です。

ということは、世間一般に知らされている歴史物が「作り話」だとしても、何ら不思議ではありません。

言わば、太閤記や信長公記など、内容の全てが作り話である可能性も否定できないということです。

作り話であればこそ、何でも有りで謎が多かったり、なかなか解明できなかったり、学説が多かったり、奇跡的なことが多かったりするわけです。

実話であれば、謎も減り解明もし易いでしょうし、学説も限定されるでしょうし、奇跡的なことも必然性が生まれてくるでしょう。

実際に、刑事ドラマなんかでは、犯人が嘘をついているせいで、謎と矛盾が生まれ、解明も困難になっている様子が描かれますが、まさにそれと同じです。

作り話とは、つまりは嘘を語っているわけですからね。

私は、あらゆる情報について、よほど有り得ないと思わない限りは、どんな情報も一旦受け止める癖があります。

だから時には、信用してはいけない情報や信用してはならない人間を、このブログでも紹介することがあり、後になってその情報は間違いの可能性が高い、と主張する感じになっていて、私の主張は信用ならないと考える人もいるでしょうが、嘘ばかりが蔓延る今の時代で正しい情報を見極めるのは、非常に困難だとも言えます。

一貫しているのは、RAPTがまがい者である、という主張だけですね。(笑)

世の中には、一つの事象に対して正否が真っ二つに別れている情報が多数ありますが、実は多数派を占める意見の方が嘘であると疑ってみるのが正しい見極めの手段の一つかと思います。

では本題に入りますが、「現代の西暦は2026年ではなく、本当は1026年なのかもしれない」と言えば、皆さんはどのように感じるでしょうか。

きっと、「何を言っているんだお前は、いよいよ頭がおかしくなったか」と思う人達ばかりでしょう。

しかし私は、この話を聞いた時に「有り得るかも」と妙に納得感がありました。

「どこでそのような話を聞いたのか」と尋ねられそうですが、今は返答を控えさせていただきますが、「江戸時代は無かった」と主張する人がいるのも事実です。

私は、かねてより一つの疑問を抱いていました。

それは「お城というのは、当時どのような方法で建設されたのだろうか」と。

戦国時代に限らず平安時代も鎌倉時代も、コンピューターが全く無かった時代に、立派なお城や立派な寺院等が建てられていますが、柱や石垣などの構造を見る限り、到底、人力だけで為せるとはどうしても思えないほどの完成度なのです。

皆さんも不思議に思いませんか。

ドラマなどでは、人夫出しのように多くの庶民がお城などの建築に駆り出されているシーンをよく見ますが、大工などのプロの建築集団ならばまだしも、どう見ても素人集団で建築しているとしか思えないシーンになっています。

はっきり言いますが、現代においても、たとえどんなに側(そば)で指示されたり教えられたりしても、ずぶの素人には絶対に家を建てることなど出来ません。

しかも、建築には柱や石垣だけでなく、様々な設備も必要となり、その道に精通していなければ、教えてもらいながらにしても絶対に作れません。

勿論、当時であってもその道の専門家はいたでしょうが、現代においてもプロの人力だけでは絶対に建物は作れません。

それにもかかわらず、当時はあたかも人力だけで大きなお城や大きな寺院を建築出来ている体(てい)になっているのです。

どう考えても有り得ません。

現代においてはプロの設計士がコンピューターを駆使して建築設計するわけですが、もしも、現代においてコンピューターがないと仮定した場合、一軒家でさえどのように建築するのか、理解に苦しむわけです。

どう考えても、日本の各地にあるお城や寺院を、コンピューター無しで設計するのは不可能だと思いますし、クレーンなどの重機を使用しないで高層を建設するなど、人間の腕力だけでは絶対に不可能です。

もしも、当時のように重機無しで建築が可能であれば、現代においてもその名残が無いと嘘ということになりませんか。

と言いますか、コンピューターや重機無しで建築できるならば、現代においても人力だけで建築できている例が無いと嘘だということになります。

相当に重い木材などの材料を、高い場所にどうやって運ぶのでしょうか。

足場が有っても無理です。

つまり、高度な技術は当時からあったわけで、建築物は全てにおいてコンピューターや重機を使用して建設されていた、と考えた方が合点がいきます。

要するに、当時も現代と変わらない歴史があるということこそが隠されているのではないか、ということです。

それを隠すために、馬で戦争をしたり場所を行き来したり、という場面を描くのでしょう。

昔の人は、有り得ない距離を歩いたり馬で行き来したりしていますが、嘘と考えた方が納得ではありませんか。

まあ、馬車くらいは本当にあったかもしれませんが、それを使って長距離を移動するということはなかったと思われます。

お城なんて地震にも強かったわけで、耐震のためには絶対に基盤がしっかりしていないと簡単に壊れてしまいます。

基盤の段階で地面を掘ってコンクリートで固めるなどの建物の基礎がしっかりしていないと、建物は簡単に壊れてしまうわけですから、耐震がある程度出来ているということは、基盤がしっかりしているということになり、しっかりした基盤を作るには重機が必要不可欠なはずです。

また、建築するための木材や石垣などの材料をどうやって運搬していたのでしょうか。

人力で運搬していたとでも思いますか。

絶対に無理です。

木材や石垣などの建築材料は、相当な重さがあり、全てを人力で運ぶなんてこと、絶対に不可能です。

ということは、運搬するための機械、要するに、車の様なものが当時にもあったとしか考えられないわけです。

どう考えても、戦国時代や江戸時代のお城の建築方法には相当な無理がある、いや、その方法では絶対に立派な建造物を作ることは不可能だと考えられます。

そのように考えますと、戦国時代や江戸時代というのは果たして存在したのでしょうか。

よくよく考えてみますと、戦国時代や江戸時代の話には、おかしなことが多過ぎると感じます。

例えば、桶狭間の戦いにしても都合よく雨が降ってきたり、秀吉の中国大返しにしても有り得ないスピードなわけで、関ヶ原の戦いにしてもあっという間に決着が付いていますし、参勤交代ではあり無いほどの距離を歩いているわけで、おおよそ現代では不可能なことが当時の人達には可能だったのです。

車や機械等がない前提だとしても、そんなことって有り得ると思いますか。

明らかに人間業を超えた奇跡的な話ばかりです。

また、平安時代末期に起きた源平合戦においては、源義経が有り得ない戦略で平家を圧倒した話になっていますが、その話(特に絶壁を馬で駆け下りた話)も明らかに人間離れしたようなファンタジーと言えるような話です。

源義経とチンギスハンが同一人物という話も、そもそもが作り話の可能性すらあると私は思うようになりました。

つまり、両人とも実在しない人物だということです。

残されている遺品については、誰かが捏造したと考えられますし、容易に捏造可能なものばかりです。

そう言えば、聖徳太子も実在しないという話がありますが、このことは、真実を隠すための工作ではないかと私は考えていて、その根拠は最後の方に書いています。

私たちが知らされている日本史も世界史も、その多くが作り話であり、存在しない時代の可能性があるわけです。

そうです、高度な技術を持ったまま、現代に繋がっていると考えた方が自然に思えてくるのです。

それを隠すために、高度な技術が一度失われた、という話にしているのではないかと思います。

高度な技術無しに、お城や寺院などの建設は絶対に不可能です。

聖徳太子が建立したとされる法隆寺でさえ立派な建築物なわけで、飛鳥時代にはそのような建築物を作れるだけの技術があったわけです。

ということは、聖徳太子が実在しようがしまいが、高度な技術はあったと認めるしかないわけです。

このように、建築物だけ見ても、高度な技術を有していたとしか考えられないわけで、これこそ物的証拠と言えると私は考えます。

平安時代に奥州藤原氏が建立した中尊寺金色堂や、徳川家康を祀ってある日光東照宮など、物凄い建築物ですが、高度な技術無しには絶対に作ることが出来ないと断言していいでしょう。

ここまでの私の主張に、反論できるだけの材料をお持ちの方は、是非ご教授いだだきたいです。

高度な技術が無かった時代に、数々の立派な建造物をどのように建築していたのか、その具体的な方法を教えていただきたいものです。

最近の私は2001年のNHK大河ドラマ「北条時宗」を見ていますが、元寇も作り話ではないかと疑い始めています。

詳細は割愛しますが、船の建造といい、兵隊の有様といい、冷静に客観的に見ると有り得ないと感じることが結構あったためです。

ちなみに、豊臣秀吉の朝鮮出兵も元寇と似たようなところがあり、どちらかが真実、あるいは、どちらも作り話という可能性も捨て切れません。

日光東照宮には、明智一族が絡んでいる証拠があると私は主張しましたが、そもそもが徳川家康を祀った寺院なのか、はたまた、仏像や柱に刻まれている家紋は、本当に織田家や明智家の家紋なのか、疑う余地は十分にあると言えるでしょう。

実際に、木瓜紋や桔梗紋は何も織田家と明智家とは限らず、日本国内でも広く使用されているようですから、そうなりますと、必ずしも日光東照宮=徳川家康というわけでもなく、徳川家康さえ実在した人物なのか疑ってみる余地は十分にあるでしょう。

徳川家康も織田信長も明智光秀も実は作り話の中の人物だと仮定すれば、それこそ、謎が多い現実も理解できるというものです。

しかも、いつまで経っても様々な謎が解明されませんよね。

真実を語っていれば、必ず誰もが納得するしかない説が登場するはずで、そうでない現実こそ、歴史が嘘の塊(作り話の塊)である可能性が高いというものです。

まあ、現代にも徳川家がありますから、徳川は存在していたのかもしれませんが、それに関しては上級国民ならば如何様にでも出来ると思われます。

現に織田家も明智家も現代に残っていることになっていますからね。

明智光秀が豊臣秀吉に負けて以降、明智家自体が歴史から全く登場しなくなったのに、現代において突然、明智憲三郎という光秀子孫が登場するのも違和感しかないわけです。

要するに、勝手に名乗ることも上級国民には可能だということですし、そうすることで歴史が真実だと思わせることも出来ますからね。

どういうことかと言いますと、実在しない人達の話であればこそ、様々な話が持ち上がり、肯定する人と否定する人に別れるのです。

真実は当然ですが一つしかありませんから、肯定と否定の真逆の説が存在すること自体が本来ならば有り得ないことなのです。

肯定しても否定しても、一本の筋道が出来ないということは、その説や出来事自体が大嘘だと考える必要があるということです。

本能寺の変に至っては学説が多過ぎで未だに真実が解明されていませんが、作り話だと考えると「さもありなん」と思えてくるのです。

もっと言えば、歴史だけでなく、全ての分野においてこのこと(学説そのものが嘘)が言える可能性があるのです。

だから、どんなに核心に迫るような話をする有名人がいたとしても、消されない人達で溢れていて、ということはつまり、この世界=地球は、何が本当なのか分からない仕組みが出来上がっているという世界だと言えそうです。

もしも、歴史の分野が作り話で成り立っているということが真実だとしたら、これは天地がひっくり返るほどの出来事であり、全ての分野に影響を及ぼすしかない話になって来るのです。

そうです、医療の分野でさえ、作り話ばかりだと考えるしかなくなってくる、ということです。

そうです、NHK大河ドラマが何でもありで制作される理由や、問題が起きても誠意の無い姿勢になる理由が、こう考える(歴史そのものが嘘であり実在しないと考える)と上手く説明できるのです。

例えば、「豊臣兄弟」では柴田勝家とお市の方が城から飛び降り自殺をしたというシナリオになっていたことで、かなりの批判が出ていましたが、そもそもが作り話だとすれば、両人が死んだことにすればよいわけで、切腹による自殺であろうが他殺であろうがどうでもいいことになるのです。

NHK大河ドラマは、よくよく振り返ってみますと、戦国時代や幕末明治維新を圧倒的に取り上げていますが、そういうことなのかもしれませんし、何より、日本の歴史には北海道のことが全く触れられていません。

このことが何を意味しているのか、非常に気になるところであります。

また、歴史を語る上で「一次資料」という言葉が根拠のために頻繁に使用されますが、何を持って「一次資料」と断定できるのか、納得のいく説明がほしいものです。

つまり、「あなたは当時を見て来たのか」とか「あなたは当時に生きていたのか」とか「あなたは書物の著者と話したのか」などと、屁理屈の様な突っ込みになりますが、歴史物の文献の多くは、当時の人達が昔話を書いた書物であり、全く当てにならないのです。

どうしてそのような文献に真実性が認められるのか、当時を生きていない以上、誰にも分からないはずですし、確認のしようもないはずです。

自分の目で確かめてもいない話を「一次資料」と言って真実性を主張するために利用するという、とんでもないインチキをやっているのがこの世界の有様なのです。

だったら、一次資料を以って謎が解明されないと一次資料としての価値は全く無いということになりますが、専門家の方々の頭は大丈夫でしょうか。

一次資料だと言っておきながら謎の解明が出来ない、だから私は専門家を無能呼ばわりするのです。

自分の目で見ていないことについては、どこまでも憶測の域は超えられないということです。

つまり、「一次資料」についても、何の証拠にも根拠にもならないということです。

人の話を全て鵜呑みにするのは非常に危険な行いであるということです。

健康情報に関しても、あれは悪いこれは悪い、あれは良いこれは良い、という話が出回っていますが、「自分の目で確かめる=自分の体に起きていることと整合性を取る」ということを抜きにして人の話を鵜呑みにしてはならない、と私は主張します。

そう言えば、鉄道なんかも明治以降に作られたような話になっていますが、これも古代から有していたと考えた方がいいでしょう。

皇居に関しては、江戸城の名残がありますので、江戸城は確かにあったということでしょうし、江戸時代もあったのかもしれませんが、260年間というのが作り話である可能性があり、武家政権の拠点が江戸城だったのかもしれません。

いや、武士の存在も含めて、武家政権が本当にあったのかも疑う余地があり、鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府も存在せず、政府として誰かが政治を行っていたと考えてもいいのかもしれません。

そもそも、皇居として江戸城があり、摂関家がそこで政治を行っていたのかもしれません。

奈良時代も平安時代も無かったとしたら、平城京や平安京の存在も疑うしかなくなるわけです。

縄文時代から弥生時代を経て、急に飛鳥時代が到来していますが、縄文弥生時代は存在せず、古代から飛鳥時代へと移り変わったということでしょう。

実際に、聖徳太子の時代には、既に飛行機なども存在していたという話さえあるほどです。

先ほど書きましたが、法隆寺が建設できるほどの技術力を有していたわけですから、飛行機があったとしても何ら不思議ではありません。

当時から立派な船は建造していたのに、飛行機は無かったというのは、やはり有り得ないことだと私は考えます。

そう言えば、飛行機に関しては、いつの時代に作られていつの時代に登場してきたのか、世間一般には明確に示されていませんよね。

飛行機なんてそれこそ画期的な乗り物であり、学校でも習わないことの方が違和感しかありません。

飛行機だけではなく、重機や自動車の登場など、誰がいつどのように開発したのか、本来ならば学校でしっかりと習うべきことであり、世界の庶民たち皆が答えられなければならないのです。

それこそが、真に我々が学ぶべき歴史なのではありませんか、日本のお偉いさん方よ。

また、明治憲法(大日本帝国憲法)は聖徳太子の十七条の憲法を基盤にしているようで、御成敗式目や武家諸法度などがあるにもかかわらず、どうして飛鳥時代の十七条の憲法なのか、ということでしょう。

しかも、飛鳥時代から明治時代まで、約1300年もあり、その間、憲法の「け」の字も出ていないのには違和感しかありません。

「御成敗式目や武家諸法度などは武士に対する法律だからだ」と幼稚な反論をしますか。

御成敗式目も武家諸法度も、法治国家であれば大いに参考、基盤とすべきであり、仮に武士の心得だとしても、現代人にとっても十分通じる内容になっているはずで、参考にしない理由が無いわけです。

と言いますか、御成敗式目や武家諸法度の制定の前に、憲法の制定のほうが遥かに優先重要事項ですよ。

明治憲法が十七条の憲法を基盤にしている理由は、それこそ十七条の憲法制定から100年程度の期間しか経過していないからという可能性も大いに有り得るわけです。

もっと言えば、明治憲法が出来るまでは、日本において十七条の憲法が制定されていたとさえ考えられます。

ちなみに、明治憲法から日本国憲法に変わるまでの期間は57年です。

最後に、私自身が結構重要だと考えているお話をさせていただきます。

皆さん、よくよく振り返ってください。

約40~50年ほど前には、一万円札の肖像画が誰であったか覚えていますか。

聖徳太子です。

その後、福沢諭吉になり現在の渋沢栄一になっています。

ということは、聖徳太子は実在する人物である可能性は極めて高く、日本の歴史において実は、飛鳥時代から短期間の江戸時代を経て明治時代へ突入している可能性が考えられるのです。

要するに、聖徳太子は現在の日本の基礎を作り上げた人なのかもしれません。

何せ、当時の紙幣は一万円札のみならず、千円札も五千円札も百円札も五百円札も全ての紙幣が聖徳太子だったわけで、それはどうしてなのか、ということです。

しかも、その後の百円札、五百円札、千円札、五千円札、一万円札の全てにおいて、明治以降の人物が肖像画として据えられている事実は、よくよく考えますと違和感を覚えませんか。

一つくらいは、平清盛や源頼朝、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が肖像画となっていても良さそうなもので、いやむしろ、なっていない方が不自然とさえ言えるでしょう。

戦国武将などが紙幣の肖像画になったとしても、文句を言う庶民なんか誰もいないでしょう。

飛鳥時代の聖徳太子が紙幣になっているくらいですから、その後の歴史上の人物が肖像画として採用されていても良さそうなものですが、もしも実在しない人物ばかりだとしたら、それこそ紙幣の肖像画になんか出来るわけがありません。

それほどに日本の紙幣は重いものだということです。

ほとんどの商品で偽物を作っただけでは犯罪になりませんが、偽札は作った時点で犯罪、しかも国家反逆罪(殺人より重い)に問われるほど重大視されているのが日本紙幣なのです。

その日本紙幣に聖徳太子が使われていた事実は、かなり重大だと私は考えますし、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代を生き抜いた多くの政治家や文化人を出し抜いて、明治時代、大正時代、昭和時代を生き抜いた著名人しか紙幣に使用されていない事実は、更に重大だと私は考えます。

そう言えば、過去には二千円札を作っていましたが、そのお札でさえ武将たちを肖像画にすることはありませんでしたが、二千円札がどこまで重要視されていたかは分かり兼ねます。

もしかしますと、日本紙幣こそ、歴史が捏造された作り話であることを示している決定的根拠なのかもしれません。

ちなみに、世界史に関しては私の知識は無能レベルですので何も語ることは出来ませんが、日本史が捏造されているならば、自ずと世界史も捏造されていることになります。

聖徳太子が活躍した時代から、さしたる期間も経ないまま明治時代に突入したことが真実だとしたら、これはヤバいどころの話では無くなります。

そのように考えますと、聖徳太子の後に紙幣の肖像画になった人物たちが明治以降の人物ばかりなのも誰もが納得できますよね。

こうなりますと、NHKも流石に受信料を徴収できなくなるのではないでしょうか。(笑)

とにかく、歴史の分野に限らず、あらゆる分野(特に医療の分野)で真実が明らかになることを願うばかりです。

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