織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の真相に迫る(歴史研究者たちよ、悪質なプロパガンダから目を覚ませ‼)

ここ最近の私はNHKオンデマンドを契約し、過去のNHK大河ドラマを見ていますが、直近で「どうする家康」を見終えて、改めて戦国時代についての真相を推理したいと思いました。

このドラマは、歴史ものとしてはいかがなものかと感じましたが、現代ドラマの感覚として見れば良い出来だったと感じています。

偉そうですみません。

と言いますか、大河ドラマを本格的な歴史ドラマとして見てはいけません。

「豊臣兄弟」においても、やってはいけない捏造があるとかで抗議を含めた問題になっていますが、NHKの捏造は何も今に始まった話ではなく、真に受ける方が愚かだと私は思っていますし、大河ドラマが真実を描いていると思う方がどうかしています。

ドラマとして楽しむべき番組であり、そもそも、歴史の大半が嘘で塗り固められているのですから。

その地の出身武将(具体的には中川清秀)の名誉うんぬんかんぬんと騒いでいますが、それを言うならば、明智光秀なんか数百年に渡る冤罪で、今もなお謀反人として侮辱を受けていて、これこそNHKだけでなく、世界的に捏造されているわけで、それに比べれば屁でもありませんし、むしろ、滋賀県民こそ、日本に対して抗議すべきでしょう。

ちなみに、発見された書状や遺骨には、残念ながら証拠能力が低く、なぜならば捏造されている可能性も否定できないからです。

一方で、日光東照宮にある木瓜紋と桔梗紋や、坂本にある慈眼堂の天海の墓所にある家康の墓、などの建造物には、捏造のやりようがないため、証拠能力が十分にあると考えられます。

慈眼堂という天海の墓所に家康の墓があるのが問題では無く、明智家の本拠地である坂本にある、というのが問題なのです。

ところが歴史専門家の多くが、それらの物的証拠には捏造が不可能であるにもかかわらず、証拠認定しないどころか否定し続ける始末で、この世の中は血迷いだらけだと言えるでしょう。

いいですか、皆さん、昔の人というのは、書状や遺骨は簡単に捏造や消滅が可能だということを知っていたので、寺院等の建造物(故意に焼失されるなどの可能性が極めて低い)などにその証拠を残すことで後世に向けて主張していたのです。

さて世の中では、私が勝手に真相ではないかと考えている内容を語ってくれる専門家はほとんどいませんから、全くと言っていいほど認知されていませんが、自分で言うのもなんですが、私の推理は結構核心に迫っていると思います。

勿論、全てが正しいとは言いませんし、間違いがあって当然ですので、その前提で読んでいただければと思います。

①戦国時代はスペイン・ポルトガルが日本侵略を企み日本国内で暴れ回っていた時代であり、イエズス会がその核心である。この事実が全く語られないため、戦国時代に関する謎が全然解明されないのである。戦国時代のように内乱が頻発したのは、スペイン・ポルトガルによる植民地化の狙いによる日本の弱体化を謀ったために起きたことであり、宗教をその常套手段かつ有効手段として利用した。しかもイエズス会は、節操無くあらゆる戦国武将に近づき、敵味方関係なく懐柔しようとしていた。キリシタン大名の乱立がその証拠だと考えられる。

②徳川家康の正体は世良田元信(織田信長の間者)であり、桶狭間の戦いの直後にすり替わりが行われた。松平元康が突如として暗殺され、松平家の存続のために、重臣たちが信康の成長までの繋ぎの当主として世良田元信の擁立を承認せざるを得なかった可能性が高い。そこに絡んだ(織田信長と通じた)のが元康の叔父である水野信元である。すり替わりによって起きた出来事が、清州同盟による今川氏との決別(本物の松平元康には今川を裏切るつもりはなかった)、三河一向一揆、岡崎クーデター、築山信康殺害事件、石川数正出奔である。世良田元信については、ネットで調べても有力な情報が出て来ないため、情報統制されている可能性も否定できないが、この人物についてのことがはっきり分かると、あらゆることが繋がるような気がする。

③武田信玄と上杉謙信は、共に病死ではなく織田信長による暗殺だった可能性が高い。イエズス会関与の可能性も十分過ぎるほど考えられる。両者の死んだ時期が、余りにも織田信長にとって都合が良過ぎる時期だったわけで、武田信玄は53歳、上杉謙信は49歳で、当時の寿命から考えてみても、病死とするには早死の部類である。武田信玄は室町幕府15代将軍足利義昭の要請に応じて出陣しているが、いつ死ぬか分からないような病中で出陣するのは絶対に有り得ない。つまり、武田信玄は病気でも何でもなく元気そのものであった。三方ヶ原の戦いで徳川を圧倒したにもかかわらず、進軍を取りやめ甲斐へ引き上げたというのは不自然極まりない。予期せぬ信玄の急死により撤退を余儀なくされたと考えた方が自然である。にもかかわらず、定説(信玄病死)に異を唱える歴史専門家はほとんどいない。大学で何を学んできたのか、本当に馬鹿としか言いようが無い。まあ大学こそが多くの出来損ないを生む環境であることは間違いない。なぜならば、大学こそ集大成のプロパガンダ機関だからである。

④本能寺の変はイエズス会の犯行であり明智光秀は冤罪をかけられた。織田信長の首が取れなかったのは、イエズス会による本能寺爆破事件だったため、死体が粉々になったのである。また、秀吉に信長死去の知らせを伝えたのはイエズス会関係者としか考えられない。なぜならば、当時の武将の死の事実関係は、主に首実検によって為されていたわけで、首もない上に書状だけで秀吉が信長の死を確信するというのは絶対に有り得ない。ということは、その後の秀吉の迅速な動きから推測するに、秀吉は信長が殺害されることも殺害されたことも知っていたとしか考えられない。秀吉が織田家を軽んじているかのような行動を取ったり、逆らう織田家の家臣達を次から次へと消していったのには、織田家を潰したいイエズス会が裏で絡んでいたとしか考えられない。

⑤豊臣秀吉もイエズス会と通じて台頭したが、九州征伐によりイエズス会の正体(スペイン、ポルトガルによる日本侵略)を知り、伴天連追放令を出した。そのために起きた出来事が小田原征伐、豊臣秀長の死、千利休切腹事件、鶴松の死、朝鮮出兵、秀次事件である。小田原征伐(北条氏を倒すためだけ)に秀吉が全国から大名たちを総動員で集結させた理由、北条氏政が頑として秀吉の上洛命令に従わなかった理由がこれで説明できる。つまり、北条氏はイエズス会と密接に繋がっていたということである。この頃は、伊達政宗もイエズス会と通じており、北条が伊達を当てにしていたのは当たり前である。

⑥「豊臣」はイエズス会が作った摂関家である可能性がある。現代も含めて、日本侵略をする上で朝廷制圧が何よりも重要なのである。日本=天皇だからである。大東亜戦争敗北でGHQが天皇家の身分を下落させたように、諸外国にとってはどの時代も日本の朝廷(大和朝廷)は重要だったと考えられる。日本人にとっての天皇家は、大東亜戦争に敗北するまでは神と同等の存在だった。イエズス会の支援により台頭した秀吉は、征夷大将軍ではなく関白・太政大臣をイエズス会から勧められ、近衛前久(さきひさ)に接近し、莫大な金品(日本では得られない物)を与えて新たな摂関家を作り出すことに成功し、朝廷内部にイエズス会の影響力をもたらすことにも成功した。近衛家というのは、現代に至るまで日本の癌である可能性が高い。もしかすると、イエズス会の狙いは、信長や秀吉を天皇にして機が熟したところで彼らを殺害し、ローマ教皇を日本の天皇にする計画があったのかもしれない。

⑦小田原征伐により、秀吉は千利休を疑い始め(利休の弟子である山上宗二は秀吉の逆鱗に触れた後、北条にいた)、まずいと思ったイエズス会は秀吉の勢力を削ぎ落すことを考え、手始めに秀吉の弟である秀長を殺害し、これにより利休がイエズス会の間者だと確信した秀吉は、利休に蟄居を命じた上で切腹命令を出して、少しでも豊臣家内部におけるイエズス会の影響力を排除した。怒ったイエズス会は、表向きは秀吉の子として扱われていた鶴松を殺害した。秀吉はイエズス会や諸外国に対して日本の軍事力を誇示するため、かつ、日本侵略阻止のため、朝鮮出兵を決断した。一方でイエズス会は関白となった秀次に接近し、秀吉暗殺計画を企む。実の甥に命を狙われたことを知った秀吉は激怒し、秀次を高野山へ追放し切腹命令を出し、秀次の一族をことごとく処刑した。その後、豊臣家は滅亡するまで関白に就任することはなかった。ちなみに豊臣秀次はキリシタンであった。             

⑧徳川家康の関東への国替え(北条滅亡直後の領地)は、何も家康いじめでも何でもなく、更には3、4年前に起きた天正大地震によるものでもなく、豊臣秀吉のイエズス会牽制のためであった。だから家康はすんなりと受け入れたのである。徳川家康の領地であった駿河、三河、遠江は何も召し上げられたわけではなく、家康預かりとするために織田信雄に与えられる予定(事実上の家康の支配下になる)であったが信雄が拒んだため、秀吉は事の重大さを理解できない信雄を役に立たないと激怒し改易処分とした。家康の石高は秀吉時代に260万石にも及び、誰よりも(豊臣以上の)破格の待遇を受けたことこそ、秀吉が如何に家康を重要としていたかが、馬鹿でも理解できる根拠である。       

⑨死んだ鶴松と豊臣秀頼の父親は共に大野治長であり、豊臣秀吉は自分の子供として扱ったが、公然の秘密であった可能性が高い。秀頼誕生に関しては秀吉の命令であった可能性も否定できない。だいたいが、子種を持たない秀吉に、よりによって晩年に2人も子供が出来て、しかも2人とも茶々が産むという、生物学的観点からも到底有り得ない偶然であり、歴史専門家はこの単純な矛盾をスルーする愚か者ばかりである。秀吉が他人を自分の実子として扱った理由は、織田家の血を引いた茶々の存在も重要だったし、何よりこの時期(鶴松誕生~秀頼誕生)に秀吉の身内の男子がことごとく死んでいくという現実に危機感を覚えたためと考えられる。秀次以外はイエズス会に殺害されている。

⑩豊臣秀吉もイエズス会による暗殺の可能性があり、そのために関ヶ原の戦いが起きた。推理するに、醍醐の花見(企画したのもイエズス会)が秀吉暗殺の機会となったのではないかと考える(信長が本能寺で茶会を催したことと似ている気がする)。おそらく、秀吉は何度も暗殺されそうな危険に遭っていたと考えられる。実はこの直前に秀吉は再び伴天連衆を処刑している。要するに、秀吉はそれまで元気そのものだったと考えられ、秀吉によって壊滅の危機を感じたイエズス会が秀吉を確実に暗殺できる機会を作った。秀吉の急死により、日本の危機(日本侵略が加速する可能性)を回避し国内強化に尽力するため、家康が朝鮮からの日本軍撤退を命じたものと考えられる。家康は信長の死も秀吉の死もイエズス会の犯行だと分かっていたのである。

⑪豊臣秀吉が死の間際に家康を呼び出して伝えたこと(遺言)は、「秀頼を頼む。」ではなく「豊臣を無くして日本をイエズス会の侵略から守ってくれ。」だった。秀吉死去により自動的に家康が日本の政治トップとなったのであり、諸大名との縁組は秀吉の遺志であった。家康のもと、日本が一つとなることを秀吉は願ったのである。秀吉は家康がイエズス会を壊滅しやすいように、敢えて茶々の子供を自分の実子として異例の元服をさせて「秀頼」を名乗らせ、故意に豊臣を存続させたのである。秀頼が本当に秀吉の子であるならば、この時点で異例の関白就任をもさせないと理屈に合わない。関ヶ原の戦いは、日本国内のイエズス会派撲滅のために行われた戦争である。従って「天下分け目」であるはずがない。関ヶ原の戦いと大坂の陣に共通することは、イエズス会派の日本の武将たちを豊臣の旗印のもと大坂城に集結させた(一極集中させた)上で開戦となっていることである。

⑫関ヶ原の戦いにおいて、西軍はイエズス会の代理として戦い、東軍は日本自衛軍でありイギリスの後ろ盾を得て戦った、と私は考える。従って、どちらが勝つかではなく、東軍が勝利しなければならない戦争だった。どうして東軍西軍と呼ぶのか、実は、東=日本、西=スペイン・ポルトガルという意味が隠されていて、単なる東西南北の「東西」ではない。秀吉の死から関ヶ原の戦いまでの約2年間の出来事は、極めて重要だと思われる。関ヶ原の戦いで敗れた側の武将で石田三成、安国寺恵瓊、小西行長の3人がA級戦犯扱いされたが、イエズス会側の犯罪者として豊臣、毛利の身代わりで処刑された。いずれにせよ、西軍側への家康の怒りは凄まじかったと推測される。結末が「戦犯として処刑」なので、敗北側は「罪人」扱いとなっていた事実を重要視すべきである。豊臣を220万石から65万石に大減封した事実ももっと重要視すべきであり、豊臣家はおとりであったと考えれば減封した理由も理解できるだろう。「天下分け目の戦い」でありながら、どうして敗北者側が一切称えられることなく犯罪者扱いされたのか、歴史専門家たちはよくよく考えてみるべきである。

⑬徳川家光の父親は徳川家康であり、春日局はその生母である。加えて南光坊天海の正体は明智秀満だと考えられる。春日局は明智光秀の重臣だった斎藤利三の娘であり、天海の計らいにより家康のそばで働かせていたのである。家康の秀忠への早過ぎる将軍譲渡は、家光を秀忠の子供として三代将軍に確定させるために行われた。秀忠の子でありながら「竹千代」という家康の幼名が名付けられた事実を、歴史専門家たちはもっと深く考えるべきである。秀忠に男子がいなかったため、家康にとっては好都合だったのである。家光誕生は1604年、秀忠将軍就任は1605年、これが果たして偶然であろうか。春日局(名前は福)の子供を家康が重要視したのは、明智一族の女性であったためと考えられる。家康が明智一族を重要視した真の理由は分からないが、はっきりしていることは、不自然なほど明智一族が江戸幕府に絡んでいるということであるが、このことを真剣に調査しようとしない歴史専門家ばかりである。ちなみに、本能寺の変後の「伊賀越え」は明智秀満の話である可能性も考えられる。

⑭大坂の陣は、国内からイエズス会を根絶やしにするための大規模なキリシタン弾圧だったと考えられる。要するにもう一つの関ヶ原の戦いだったのである。秀吉の遺言通り、豊臣を利用して豊臣もろとも潰したのである。実は大坂の陣の数年前、家康はスペインと手切れをし、キリスト教禁教令を発令している。また、岡本大八事件も見過ごせない。このことに怒った国内のイエズス会派たち(これが浪人衆の正体)が続々と大坂に集結し始めたが、家康は故意にこれを見過ごした。そのため行われたのが二条城会見であり、家康は秀頼に対して浪人衆を匿うよう命じ、一切の援助を施した。機が熟したと感じた家康は、方広寺鐘銘事件をでっち上げ、戦争勃発へと導いたのである。開戦直前に家康は大蔵卿局(大野治長の母であり茶々の姑)とも会見しているが、茶々と秀頼の逃亡の算段ではないかと推測する。実際に大坂の陣の後、両人は逃亡しているのである。(公的には死んだことにした。)実際に鹿児島には秀頼の生存を示す証拠が、群馬には茶々の生存を示す証拠が見つかっているにも関わらず、これもまた歴史専門家たちはスルーする始末で非常にお粗末としか言いようが無い。ドラマみたいな最期を遂げたのであれば、どうして秀頼や茶々の首実験(死の証拠)が行われていないのか、合理的に説明してもらいたいものだ。だいたいが、本当に秀頼や茶々が徳川に反旗を翻したならば、少なくとも2人は謀反首謀者として処刑されていなければ筋が通らない。ドラマでも描かれている通り、生け捕りに出来る状況があったのに自害(名誉ある死)となった結末は、作り話としては致命的欠陥であり、豊臣VS徳川ではなかったことをドラマを通じて伝えていることになってしまっていることに日本人は誰も気づいていない。要するに、嘘でも「処刑された」ことにしなければならなかった。

⑮豊臣秀頼が大坂の陣において一切出陣しなかったのは、家康と通じていたためである。大坂の陣の最大の目的は、「豊臣を無くすこと」と「イエズス会派の根絶」であり、当初は冬の陣だけで済ませる予定だったが、浪人衆が籠城戦を取ったため、その抵抗は想像以上に凄まじく、幕府軍も痛手を負い、どちらかと言えば浪人衆の勝利に近かった。そのために家康は、イギリス製の大砲を利用することで相手を圧倒し見せかけの和睦を成立させた。籠城できないように大坂城の堀を埋めて敵を野戦するしかない状況に追い込み、それが夏の陣である。野戦であれば数の差で容易に勝てるからである。ところが、またしても家康の予想外が起きた。真田信繁(幸村)による奇襲攻撃であった。家康は不覚にも深手を負い、逃走途中で後藤又兵衛の襲撃に遭い殺害された。後藤又兵衛が道明寺の戦いで戦死したというのはおそらく嘘で、家康の死の真相を知られないための創作と考えられる。堺にある南宗寺は家康を弔った寺である。どうしてそのような場所で家康を弔うのか説明の余地など無く、加えて、南宗寺に秀忠と家光が家康弔いのため参拝した記録が残っているにもかかわらず、それを証拠として認定しないどころか調査さえもしない愚か者専門家ばかりである。征夷大将軍(現代の内閣総理大臣)が参拝をした事実を軽視しては絶対にダメだ。現代であればトップニュースレベルと言ってよい。

⑯織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、共通するのは日本を外国の侵略から守ろうとした、そのために天下統一(内乱、内戦を無くすこと)を果たす必要があった、ということである。最初にイエズス会の侵略計画(正体)に気付いたのが織田信長である。織田信長と豊臣秀吉はイエズス会を利用しイエズス会に殺害されたが、そのことを見ていた徳川家康はイエズス会とは当初から距離を置いて、政務の中心を担ってからはイギリスやオランダと手を組み、キリスト教の禁教令まで定めてキリシタン弾圧に尽力した。家康が茶道に執心しなかった理由はまさにこれである。実はそれ位にキリスト教は現代に至るまで日本にとって危険な宗教だったのである。当時のイギリスやオランダには日本侵略の意図は無く、貿易による交流のみを求めていたようである。イギリスやオランダとの交流により、江戸幕府は世界情勢に関する情報を大量に得ていたのである。

少々強烈な言葉を使っていますが、真実が隠されている現状がどうしても許せない心境をお察しください。

この時代も現代も、日本の政治情勢は何一つとして変わっていないということです。

現代においてもキリスト教が非常に危険な宗教であることは、RAPTを見ていれば一目瞭然でしょう。

神の名において、戦争や殺人、差別行為を平気で行う集団がキリスト信者であり、その根拠が旧約聖書に書かれてあるのです。

戦国時代も、日本を独立国として守ろうとした「保守派」がいて、日本を属国化して外国の援助のもとで利益を得ようとした「外国派(売国奴)」が覇権を争っていたということであり、現代と全く同じ構図です。

当時と現代の違いは、独立国(当時)なのか植民地(現代)なのか、ということでしょう。                                                                     

ところで、織田信長は本能寺の変の数年前、イエズス会から地球儀を贈呈されたようで、それによりイエズス会の真の狙いを突き止めたらしく、そのことが本能寺の変の引き金となったようです。

明智光秀には、織田信長に謀反する動機など全くなく、創作だからこそ幾つもの謎が出てくる始末になっているのです。

別の言い方をすれば、真実を捏造するため、明智光秀にあらゆる動機(謎)を作ったというのが事実だと私は考えています。

そもそもが、本能寺の変が起きた1582年当時の日本の情勢を考えれば、イエズス会関与を無視しても、明智光秀や徳川家康にとって織田信長をこの世から消すメリットなど何もないわけで、少し考えれば分かる話なのです。

ましてや、明智光秀も徳川家康も、織田信長からは破格の待遇を受けており、勿論、信長による天下統一が実現した後は両人ともどうなるか分かりませんが、現状の安泰は約束されていたわけであり、この時点においては殺す理由など本来ならば見出す方が至難の業というものです。

1582年当時に、両者がお家滅亡のリスクを負うとでも思いますか。

しかも、お家滅亡のリスクを負うているにもかかわらず、余りにも杜撰で計画性が無さ過ぎるのも合点がいかないわけです。

本能寺の変の成功が約束されているシナリオの割には、明智光秀のお粗末さ(無謀さ)が際立っており、その時点で不自然極まりないのですが、もしも私が創作するとしたら、もっと明智光秀の用意周到性を考えますけどね。

明らかに織田信長に重用された人物の有様ではありませんし、明らかに謀反を計画していた犯人の有様ではありません。

裏を返せば、本能寺の変を明智光秀の犯行にするということは、織田信長の優秀さをも否定することに繋がるのに、それを理解できない専門家ばかりであり、私が馬鹿呼ばわりするのも頷けるでしょう。

しかしながら、江戸幕府に明智一族が関与していて成功したように、明智一族というのは相当に有能な人材を有していた可能性が高く、織田信長が明智光秀を重用した理由がはっきりしてくるのです。

世良田元信(徳川家康)が明智一族に一目置いていたのには、絶対に明確な理由があるはずです。

もしもこのことが知られたら、本能寺の変の真相を含めた戦国時代の秘密が暴かれ兼ねないため、日本は江戸幕府と明智一族の関与を否定したいのです。

いいですか、皆さん、織田信長も私たちが思っている以上に凄い人であり、残虐非道というイメージは作られたものと考えていいでしょう。

イエズス会の方がよほど、織田信長よりも残虐なことをやっていたわけですから。

織田信長という人は、税制優遇措置などで領民にも慕われていたようで、織田軍が強い理由もそこにあり、軍事の天才であり経済の天才だったわけです。

「どうする家康」では、徳川家康が織田信長殺害を企んだことになっていますが、家康が世良田元信であろうがなかろうが絶対に有り得ません。

「日光東照宮にある桔梗の家紋は明智家のものではなく織田家のものだ」と主張する専門家もいますが、その主張自体が、家康による信長殺害計画を否定していると気付いているのでしょうか。

最後になりますが、どうして日本は、戦国時代におけるイエズス会の関与や残虐性を徹底して隠しているのか、それは現代もなお、イエズス会の影響力が日本においても働いているからとしか考えられません。

それくらいに、戦国時代におけるイエズス会の活動は不都合な真実なのでしょう。

私の話には証拠も何もありませんし、調査も行ったわけでもありません。

私が言いたいのは「戦国時代のことについて、世界情勢を無視して全てを語るな」ということです。

歴史は繰り返すとはまさにその通りで、日本は常に侵略の危機と隣り合わせだったわけで、大東亜戦争で日本はアメリカの侵略を許して現代に繋がっていますが、戦国時代は外国からの侵略を許さず、独立国としての江戸時代260年間に渡る平和の礎を築いたわけで、その原点が織田信長であり豊臣秀吉であり徳川家康だったということです。

現代に必要な政治家とは、まさにこの3人のような人物なのですが、残念ながら2026年時点で誰一人としていません。

要するに、日本を独立国に戻そうと口では言っている政治家はいますが、実行に移している政治家、つまり、日本を腐らせた真犯人(厳密にはアメリカという「国」ではなくアメリカに存在する組織)を公に断定して戦う政治家が誰一人としていないということです。

秀吉や家康のように、「スペイン・ポルトガルは我が国の敵だ」と公言して動いたように、現代においても「ウォール街(これがDSの正体)は我が国の敵だ」と公言しなければ何も始まらないということです。

政治家は、自分が殺されることを恐れては真に日本を変えることなど出来ません。

日本が独立国として栄えた理由は、強靭な軍事力と豊富な技術力を有していたということを、我々は知らなければなりません。

その観点から言えば、現在の日本に「独立国」として変われるだけの力はありませんから、しばらくはアメリカや中国の言いなりで国を動かすしか手立ては無いでしょう。

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