RAPT氏の言葉に真理はありません。その9                                                                           ~RAPTが語る自分の過去は、本当に神の力が働いたと言えるのか~

RAPTは音声配信の中で、自分の過去について語る場面がありますが、せいぜい数個レベルに留まり、客観的に評価しても、その内容に神の力が働いているとは言い難いものばかりです。

と言いますか、客観的に評価するからこそ、神の力が働いていないと断定できるのですが。

これから私が記憶しているRAPTの過去のエピソードを披露しますが、私にはどう考えても神の力ではなく単なる偶然でしかなく、その域を超えないレベルの話だと感じられてなりません。

RAPTエピソード① 台風が3回反れたことで神の存在を確信した。

RAPTは、大学生の時に新聞配達のバイトをしていたそうで、その時に台風が来るのが嫌で嫌で堪らなかったそうです。

そこで神に「台風を止ましてください」と祈ったようですが「3回続けて台風が反れるという祈りが叶ったので神を確信した」と言うのです。

こういうのが証だとRAPTは自信満々に語っていましたが、果たしてこの話を聞いた時に、どれくらいの人達が「凄い」「神の力が働いた」と感動するでしょうか。

少なくとも私には、神の力を語るエピソードとしては、極めて薄弱と言わざるを得ません。

まあ確かに、3回連続で台風が止んだのであれば、本人にとってはそれなりに奇跡的な出来事なのかもしれませんが、証とまで言えるレベルの話なのでしょうか。

神の存在をはっきりと確信できる出来事は証として通用するそうですが、そんなの個人差があるに決まっているでしょう。

私にとっては奇跡的だと思っても、他人が聞けば大したことは無い、と感じる出来事だっていくらでもあるでしょう。

誰が聞いても奇跡的な出来事だと感じなければ、たとえ神の存在を確信する出来事であったとしても、証としては通用しないでしょう。

分かり易く説明するならば、最低でも評価として主観と客観が一致するような出来事でなければ証として通用しない、ということです。

申し訳ないですが、このような話はインパクトに相当欠けています。

私の話をさせてもらいますが、私は信仰を持つ直前の2021年7月に一人の女性と出会い、人生初となる一目惚れをしてしまいました。

この場では詳細は割愛しますが、その女性と出会った経緯も、それまでに私に起きたことが彼女と出会うように誘導されていたように感じて、偶然と言うよりも必然に感じてしまい、本当に舞い上がってしまいました。

ちなみに出会った場所は、私の自宅付近とか私の会社付近では無く、会社から20キロは距離のある工事現場の近くのコンビニでしたので、まあまず利用することがほとんど無いコンビニだったわけです。

ただ、キリスト教では姦淫が罪となっている以上は神がもたらした出会いではない、と必死で自分に言い聞かせ続けました。

しかしながら彼女と出会って半年後、たまたま受注した現場を視察に訪れた時に、なんと彼女の自宅を偶然にも発見するという出来事があり、私は更に舞い上がってしまい「これはもう信仰を持つしかないだろう」と思いました。

受注した工事現場のすぐ近くに彼女の自宅があったのですが、こんな偶然、なかなか起きないでしょう。                                                                          ※工事現場に向かうには、彼女の自宅の前の道路を通るしかありません。

どうして彼女の自宅だと分かったかと言いますと、彼女はコンビニのパートさんで車通勤であり、彼女の車をナンバーも含めて把握していたからです。

自宅を発見するなんて、何の手掛かりも無い状態の中では絶対に不可能です。

ドラマでも描けないのではないでしょうか。(笑)

それこそ死ぬ気で来る日も来る日も探し回ったとしても不可能でしょう。(笑)

たまたま受注した現場についても、私はギリギリまで受注しようかどうか迷っていた程です。

その仕事は同業他社の応援依頼でしたが、相手から話を聞く限り、面倒臭い工事現場だと感じましたので、私は断る前提で部下と相談したのです。

1時間程度の議論の末、部下が「自分が行くので受けてみましょう」と言ってくれたので、私は嫌々ながらも受注したのです。

私は、自分が嫌だと感じることを他人にやらせるのは嫌いな性格なので、受注を渋っていたわけです。

当然ですが、もしもその仕事を受注していなければ、彼女の自宅を偶然にも発見する、という出来事は起きていません。

加えて、たとえ受注しても彼女が外出中であれば、彼女の自宅だと気付くことは不可能なわけです。

実際に、現場に向かう時は自宅に車がありましたが、約1時間後に現場を後にした時には、彼女の車はありませんでした。

彼女との出会いは経緯が経緯なだけに、私は本当に神を確信するに至ったわけです。

彼女の自宅を発見したことについて部下に話しましたが、その部下はキリスト教やRAPT理論のことを馬鹿にしていたのですが、さすがの部下もその出来事には「それは凄いなあ」と驚嘆するしかなかったようです。

まあ、今となってはRAPTの神による単なるいたずらだと分かりましたが、その当時の私にとっては今までに経験の無いくらい衝撃的な出来事だったわけです。

これが、私が神の存在を確信した出来事です。

RAPTエピソード② 当時勤務していた会社で有給を取ろうとしたら上司から拒絶され、それ以降会社内でいじめのような目に遭った時に、その会社の取締役が出て来て事態を変えてくれた。

もしかしますと、私の記憶違いで内容が多少違っているかもしれませんが、取締役に助けられたことは間違いありません。

皆さんは、これを聞いて神の力が働いたと絶対的に感じることが出来ますか?

偶然だろう、と感じる人達も少なくないはずです。

推測ですが、世の中のサラリーマンでも似たような経験は出来るのではないでしょうか。

他人が自分を助けてくれることなんて、人生の中でいくらでもあるでしょう。

RAPT曰く「神がその取締役を使って自分を助けてくれた」と言っていましたが、神が働いたにしては、これもまた話のスケールが小さ過ぎてインパクトに欠けると感じませんか。

誰でも経験できるような話を、さも神の力によって助かった、みたいに言われても、全く響かないわけです。

私の話をさせていただきましょう。

これから紹介するエピソードは、実はこのブログでも記事に挙げたものになりますが、現在は削除しています。

私は大学生の時に、原付バイクで走行中、前方を走行する車が左折しようとしたので後方から巻こうとした時に、左折側から車が出て来て危うく衝突しそうになったので、とっさの判断で対向車線に退避したら正面から対向車が迫って来て「ああ終わった」と思った矢先に、右側にわずかな退避できるような路側帯のような場所があるのに気付き、更にとっさの判断で、そこに身をかわすことで事故から助かった、という出来事がありました。

しかも、実を言いますと右側はちょっとした崖のようになっていて、歩道も無く路側帯の幅もほとんど無い道路であったにも関わらず、本当に運良くわずかな退避スペース(原付バイクが1台収まる程度のスペース)が都合よくそこにあったわけで、しかもその位置にしか退避できるようなスペースは無かったわけで、もしもそのスペースがなかったら、対向車に正面衝突するか崖に転落するか、この二択しかなく、いずれにせよ、確実に大怪我は避けられなかった状況だったのです。

いや、大怪我で済めば良い方で、下手をしたら死んでいた可能性すらある話です。

もしも他の人達が私と同じような目に遭っていれば、確実に交通事故になっていたと思います。

左折側から出て来た車と接触するか、対向車と正面衝突するか、崖に転落するか、滑って転倒し自損事故になっているか、そのいずれかでしょう。

ちなみに、左折側から出て来た車は、原付バイクの私に気付かずに左折しましたので、すんでのところで接触を免れたわけですが、もしも右折だったら確実に衝突し撥ねられていました。

わずか数秒間の出来事でしたが、本当に死に際(大袈裟かもしれませんが)というのは、物凄くスローモーションのように感じましたよ。(笑)

正直なところ、誰かが私の原付バイクを誘導してくれたか、あるいは、誰かが原付バイクのハンドルを握っていてくれたか、そう思うしかないほどの出来事でした。

この方がよっぽど神の力が働いたようなエピソードだと感じませんか。

偶然助かるような地形になっていたわけですが、事故に遭いそうになった場所の地形が私が助かるように出来ていたなんて、こんな偶然あるとでも思いますか?

当然ですが、誰かが助けてくれたわけでもありません。

敢えて言うならば、地形に助けられたとでも表現しましょうか。

どう考えても、神で無いにしても目に見えない力が働いてくれた、と私としては思うしかない出来事でした。

RAPTエピソード③ 義の条件(特に祈り)を立てるために会社を変えようとした時に、運よく6時間しか働かなくてよい仕事をすぐに求人で見付けた。

RAPT曰く「求人雑誌の1ページ目で見つかった」らしいのですが、いい加減ふざけろって話です。

これもまた神の力が働いたそうですが、もはや笑ってしまうレベルの話だと思いませんか。

RAPTに言わせれば「すぐに見つかったことが凄い」みたいに語っていたように記憶しますが、どこまでもスケールが小さ過ぎですよ。

世の中の人達でも、自分の願うような職場が求人ですぐに見つかることなんて、経験できるでしょう。

それこそハローワークにでも行けば、一発で見つかった、という経験をした世の中の人達もいるでしょう。

神の力は求人雑誌程度にしか及ぼせないのか、と突っ込みたくなりますよ。

ようも恥ずかし気も無くこのようなエピソードばかり披露できるものだと、本当に感心しますよ。

私がRAPTの音声配信の中で覚えている本人のエピソードはこの位であり、はっきり言いますが、神から祝福を受けてきた人生にしては、あまりにも貧相でしょう。

私はどうしてもっと早く、RAPTの薄っぺらさに気付けなかったのか、自分で自分が嫌になります。

そして、RAPTはこの3つのエピソードを、音声配信の中で誇らしげに何度も語るのです。

もはや阿呆としか言いようが無いでしょう。

この程度の内容しか、祈り会の言葉の中で語ることが出来ないわけです。

このような人が、1000個も2000個も神から祝福を受けているように思えますか。

悪いですが、私の方がよっぽどRAPTよりも奇跡的で凄いと思ってもらえるエピソードを持っています。

このRAPTの3つのエピソードを読んで、私がRAPTを誹謗中傷していると言う人がいたら是非、コメント欄にてコメントください。

神の人と自称しながらこの程度のエピソードしか語れないなんて、批判されない方がおかしいでしょう。

最後にもう一つ私のエピソードをお話します。

約20年前、運送会社で仕事をしていた時に、最初のうちは個人的な事情もあってやる気が全く無く、周囲の同僚や先輩達からも、物凄く馬鹿にされ蔑(さげす)まれながら仕事をしていました。

「おい、はげ~!」とか「お前ホントとろいな!」とか「お前邪魔!」とか、様々な罵声を浴びながら仕事をしていたので「絶対近いうちに辞めてやる!」と本当に投げやりな気持ちで仕事をしていました。                                                                                             ※当時も今も私は丸坊主です。

半年経過したある日のこと、一人の先輩から「お前、最近捌けるようになったね」と褒められたことがあり、自分では全く意識していなかったので、なぜか褒められたことが滅茶苦茶嬉しくなって、不思議とそれ以来仕事に熱心になり、1年半が経過した頃には誰よりも仕事が出来るようになり、営業所内で1位2位を争うほどまでに成長しました。

それにより、周囲が私を禿呼ばわりすること無く名前で呼んでくれるようになり、同僚も先輩達も私に何も言えなくなり、仕事に対する私の発言権が増し、私の邪魔になった時なんか「ごめんごめん」と言ってもらえたりと、明らかに周囲の私に対する態度が180度変わり、しかも営業所内で影響力のあった先輩からも物凄く慕われるようになりました。

それこそ自宅に招いて食事をご馳走してくれたり、休日は川釣りに誘ってくれたりと、公私に渡って私を可愛がってくださいました。

しかしながら私は二度目の借金苦を抱えてしまい、その半年後、夜逃げするようにその運送会社を退職してしまい、周囲の期待を大きく裏切るような真似をしてしまいました。

何も私は自分を誇らしげにアピールしているわけでも何でもなく、一つの組織の中で1位2位になるほどに、短期間で実力を身につけるのは、誰にでも出来ることでは無いでしょうし、何より私自身が驚いているのです。

ましてや私は運動神経が人よりもかなり劣っていたわけで、そのような私が運送会社でコンビニの配送の仕事に対して、それも体を使ってする仕事に対して、誰にも負けない実力を身につけることが出来たことは、果たして自分の努力だけで短期間で可能だと思いますか。

しかも同僚や先輩達は、如何にも体育会系みたいな体の大きい人達も多くいたわけです。

一方で私はガリガリの瘦せ型で非力でしたので、余計に運動オンチに見えるわけで、馬鹿にもされやすい容姿だったわけです。

おこがましいですが、聖書でいうダビデがゴリアテを倒したエピソードにニュアンスが似ている部分もあるかと思います。

私が覚えているRAPTのエピソードはこれ位で、私が忘れていることもあるとしても、せいぜい5個か6個レベルしか語っていないということであり、神から1000個も2000個も貰っている人の話題の多さでは全くないということです。

1000個も2000個も10000個も祝福を貰っているような人が、同じエピソードを何回も繰り返して披露するということが有り得ると思いますか。

それこそ、話題に事欠くことなく、次から次に過去の人生に関する新しいエピソードが披露できるはずですし、披露できなければ嘘でしょう。

これだけでも、RAPTが言う、神からもらっている祝福の数は嘘だと断言してもいい位です。

今回、私に関するエピソードも披露しましたが、私の方が神の力を感じる様なエピソードだと思いませんか。

ちなみに私自身はこれらの出来事のうち、女性の話以外は「目に見えない力が働いた」とは思っても、「神の力が働いた」とは考えませんでした。

一方でRAPTは確実に神の力を感じたわけでしょうから、神の力が大したレベルに無いと主張しているも同然だと私は感じます。

要するに、RAPTは神から大して祝福を貰っていないので、「工作員が真似をするといけないから詳しくは教えません」ともっともらしく言う他なく、10000個も祝福を貰っていると大ぼらを吹いて自分自身を大きく見せるより手段が無いのです。

私の話もスケールが小さいと思いますが、RAPTは神の人を自称しているわけですから、世界的にといかないまでも、せめて日本という広大な領域の中で成し遂げたエピソードを披露しろって話です。

どこまでも自分の領域内での話、狭い領域内での話じゃないか、ということです。

このようなエピソードを神の力が働いた話として持ち出すのは、恥さらしもいいところです。

だから音声配信を有料制にするしかなく、こんなみっともない話を世の中の人達に向けてしようものなら、いい笑い者にされてしまいますよ。

RAPTのエピソードを凄いと思ってくれるような人間は、RAPT信者のように思考停止の無能者だけですよ。

RAPTが音声配信を無料化に出来ないのは、さゆふらっとさんのような妨害を防ぐためではなく、如何にRAPTが大したことの無い人物なのか、多くの世の中の人達に化けの皮が剥がされるのを恐れてのことだと勘繰られても仕方が無いでしょう。

せめて、RAPTと同類項と言ってよい出口王仁三郎くらいのスケールの大きいことを成してほしいものです。

申し訳ないですが、出口王仁三郎の方がよっぽど「神の人」と言ってもいいくらいで、RAPTに出口王仁三郎のことを批判する資格なんて1ミリもありません。

はっきりと激しい言葉で言いますが、RAPTは世の中の人間以下の人間だと断言してもいいでしょう。

RAPTよりも凄い人、努力している人は、上級国民に限らず庶民の中にも五万と、いや、それ以上いますよ。

このような人間が「神の人」を自称するなんて思い上がりも甚だしい!!と言って終わりにしましょう。

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