RAPT氏の言葉に真理はありません。その22                                           ~今回のトパズの証に書いてある「新たなアダムとエバの誕生」の意味するところ~(前)

今回は、2025年12月1日に公開されたRAPT理論+αのサイト内にあるトパズの神の証の内容について批評しますが、実はかなりの長文になりましたので、前編と後編の2回に分けました。

前編の今回では、トパズさんの子供の問題について、並びに、女性の基準者任命について書かせていただきます。

では早速ですが、いつものように神の証の批評をさせていただきますが、今回のトパズさんの証の内容も「私の言った通りでしょう」ということです。

つまりは、同じ内容の繰り返しになっている、ということです。

例によって突っ込みどころ満載ですが、私としては、RAPT集団はわざとやっているのではないかと思ってしまうほどの内容でした。

わざとでなければ本当の阿呆です。

まだ読まれていない人は、興味本位で読んでみてください。

そうすれば、今回の記事もより分かり易く理解できると思います。

まず、聖霊様という存在を出して証を書いていますが、私が何度も指摘していますように、目に見えない存在に対して、いい加減、確信を持って断定するのはやめましょう。

「啓示が根拠だ」などと言って誤魔化すのでしょうが、Kさんも指摘されていますが、その啓示が間違いなく聖霊様から来たものであることを、どのように証明できるというのでしょうか。

そもそも、RAPTが崇拝している神の正体がルシファーである以上、「聖霊様が働きかけた」と断言できる証拠は一切無いことになるのです。

強いて言うならば、ルシファーが聖霊様を演じているに過ぎません。

「聖霊様が存在しない根拠は何だ!」というRAPT信者へ。

残念ながら、聖霊様が存在しないことを証明しているのは、トパズさん達自身であり、RAPT自身なのですよ。

頭の悪いRAPT信者のために教えて差し上げましょう。

トパズさんは前回の証で、「人生が180度好転した」と書いたわけです。

それでいながら、今回もまた同じような子供の問題を披露していました。

そして、その子供の問題が解決したのが、聖霊様のお陰だという主張です。

神の話を語ってるにも関わらず、この時点でアウトだと理解できないから、RAPTをはじめとしたRAPT信者らを、私は無能呼ばわりしているわけです。

いいですか、RAPTやRAPT信者にとっては、聖霊様と神様とは同じ次元の存在なはずですよ。

それなのに聖霊様は、どうして世間の人達と同じような問題に直面するような目に、何度も何度も繰り返し遭わせるのですか。

神の立場からすれば全く大した問題では無いはずなのに、未然に防ぐことすら出来ないということが、私としては考えられないわけです。

以前の記事に書きましたように、川田さんとナナさんが交通事故に遭いましたが、交通事故を未然に防いであげることこそ、神としての業であり愛でしょう。

交通事故の怪我から守られたところで(実際には命が助かったというだけで怪我からは守られていませんでした)、それを神のお陰と言うには余りにも馬鹿げていますし、交通事故そのものから守ってもらえなかった事実を、もっと重く受け止めるべきでしょう。

ましてや、人生が180度好転していながら、トパズさんが抱える問題は、世間の親御さんたちと何ら変わらないどころか、毎回似たような問題ばかり抱えている始末です。

その時点で、言っていることがおかしいし、墓穴だと本人が気付かないといけないわけです。

要するに、何度も言いますが、神の力が有っても無くても関係ない話を幾度となくしているわけです。

人間の力でも解決できることを「聖霊様によって解決できた」と誇らしげに書いていますが、これは神に対する愚弄そのものだということが、RAPT集団には理解できないわけです。

「神様や聖霊様は、どうして同じような問題にばかり直面させるのだろうか、どうして未然に防いでくれないのだろうか」という単純な疑問を抱け、と私は言っているのです。

何でもかんでも問題が解決する度に、神様のお陰とか聖霊様のお陰とか言うならば、私にだって神や聖霊の力が宿っている、いや、全人類に神や聖霊の力が宿っていることになってしまいますが、そうなると「信仰を持つ必要なんて全く無い」とRAPT達自ら主張している様なものだと理解できないのでしょうか。

神を信じるメリットも、信仰を持つメリットも、何一つ無いことを主張しているわけで、信仰者が増えないのも道理でしょう。

このような証の数々、読んだ人の大半が鼻で笑っていますよ。

あなたがたのことを羨ましいなんて思っている人間は、RAPT信者以外、誰一人としていませんよ。

もしもトパズさんの主張(聖霊様が働いた)が本当だと仮定したならば、神には所詮、人間並みの力しか持ち合わせていない、あるいは、それ以下だと主張しているに等しいことになり、これだけでも矛盾だと分かりますよね。

ゆえに、トパズさんの主張は嘘だということになり、聖霊様は存在しないことをトパズさん自ら主張しているに等しいというわけです。

聖霊様が存在する前提で話をしているから、RAPT集団が言っている内容に辻褄が合わないことになるのです。

まあ、本人達は辻褄が合っているのでしょうけど。(笑)

そもそも神の力が宿っているはずなのに、トパズさんの子供は、世の中の子供と同じか、それよりも質(たち)が悪い感じさえ漂っています。

証に書かれてある子供の有り様は、聞き分けの無い子供そのものですよ。

いいですか、神の力が宿った子供というのが、どのような子供なのか誰にでも分かり易く私が教えましょう。

天才バカボンという漫画をご存じの方も多いと思いますが、その漫画に登場するハジメちゃんという幼子は、凄い子供として描かれていますが、あれこそが神の力を得た子供ですよ。

もしも天才バカボンをご存じ無い方は、ウィキペディアで調べていただければ、ハジメちゃんが有り得ないほどの能力を有した幼子だというのが分かるかと思います。

当然ながら、現実には絶対に有り得ない話ですが、トパズさんは聖霊様の力を得て活動しているはずですから、彼女の子供がハジメちゃんのような子供であったとしても何ら不思議ではなく、むしろ、そうならないと説得力なんて一切感じられないでしょう。

トパズさん本人が「聖霊様が働きかけて下さった」と認めているわけで、それだけでも神の力が宿っていることになるでしょうから、それでいてそのようなザマは有り得ないでしょう。

私が何度も書いていますように、神業とは絶対に実現不可能なことを実現可能とすることですが、トパズさんの子供は、天才バカボンのハジメちゃんのようであれとまでは言いませんが、少なくとも親に一切迷惑を掛けない状態でないと嘘だと指摘されても仕方がないと言っているのです。

そうであって「聖霊様が働きかけた」と言えば、私であっても「本当かもしれない」と考えるしかなく、それこそ論より証拠となっていますから反論の余地が一切無くなるわけですよ。

申し訳ないですが、トパズさんの子供はそこら辺の出来の悪い子供の典型ですよ。

どうしてそのようになるのか、どうして何度も何度も同じような子供の問題に直面するのか、それはトパズさんの崇拝する神がルシファーだからというのもありますが、何よりトパズさんの、自分の子供に対する愛し方に間違いがある証拠ですよ。

だからトパズさんの子供は、世間の子供よりも我がままで聞き分けが無さげで、いつまで経っても子供のことでトパズさんは悩まされる結果となるのです。

親の教育や躾が悪い証拠、子供に対する親の愛情が欠如している証拠です。

子供を見れば親がどのような性質の持ち主なのか、だいたい想像つきますから、はっきり言わせていただくと、トパズさんの人間性は最悪だと私は断言しますよ。

私は何度も主張していますが、キリスト信者の中でも特にRAPT信者は、日に日に人間性が腐っていくはずなのです。

少々余談になりますが、私は警備員として工事現場で従事する機会も多いですが、きちんと挨拶できる子供と挨拶できない子供にはっきりと分かれています。

それだけで親の有様が想像できるということです。

挨拶は、人間として基本的なマナーであり、そんな簡単なことも子供に教えられない保護者は、どんなに富や名誉があっても人間としてクズ親ですよ。

そのような世の中でも、私は先日、驚いて感動した出来事に遭遇しました。

横断歩道を渡ろうとしていた中学生の女の子が、私が停車して譲ってあげたら、横断中に頭を下げてお礼をしただけでなく、何と、横断し終えた後に、運転していた私の車の方を振り返り、立ち止まって体を向けて頭を下げてくれるという、極めて律儀の良さを披露したのです。

大人でさえ、この中学生の女の子のような行動が出来る人は、そうはいません。

尊敬に値するだけでなく、見習う必要さえあったその女の子の行動だったわけで、その瞬間私は、感動したのは勿論、立派な親御さんをお持ちの子であり、躾や教育の賜物だなと感じましたよ。

この行動の根本にあるのは、「感謝を行動で伝える」ということであり、人間として最も大切な教育が出来ている親御さんには頭が下がると同時に尊敬に値しますよ。

RAPTこそ見習う必要があるでしょう。

このような行動は、親御さんを含めた大人達に教えられないと、子供自らは絶対に無理です。

それに引き換え、神の力が宿っているはずのトパズさんの子供ときたら……。

申し訳ないですが、子供の教育や躾そっちのけで、馬鹿げた信仰生活に没頭している顛末ですよ。

子供に対する愛し方を履き違えている証拠ですよ。

そりゃあ、子供だって拗ねるのが道理でしょう。

RAPTは「子育ては放っておくことが一番だ」と有り得ない発言をしていましたが、その言葉通りに実行した結果、トパズさんの子供のように我がままで聞き分けの無い子供になり、繰り返し子供の問題に直面する始末となるのです。

放っておいて、子供(特に幼子)が「挨拶」や「感謝」なんて自発的に覚えるわけが無く、「子育ては放っておくことが一番だ」という言葉は、明らかにルシファーが人間を堕落に向かわせようと、RAPTに言わせている悪魔の言葉です。

あなたがたの教えは「愛」がテーマなはずなのに、放っておくことが子供への「愛」とでも言うのならば、明らかに「愛」を履き違えていますよ。

幼子は特に、親(特に母親)の愛情欲しさに甘えてくるのが当然であり、ある程度の年齢までは、実際に行動で子供への愛を示さなければ駄目でしょう。

親というのは、特に幼子に対しては安心感を与えてあげる存在でなければ駄目でしょう。

放っておいても大丈夫な子供の年齢は、ざっくばらんに言えば、中学生や高校生となって、親のことがウザいと感じる年頃になってからですが、それでも本当に放っておいては駄目なことぐらいは、親であれば分かっていると思いますが。

グレた子供に限らず人間は、自分の欲求が満たされれば、その時点ではある程度落ち着くわけですが、人間は再び欲求が膨らむようになっていますから、子供にはそれを制御できる力が乏しいから尚更なわけで、このままではトパズさんは何度も子供の問題に悩まされることだけでなく、終いにはトパズさんの子供は本当に性根の悪い人間に成長してしまうことでしょう。

「甘やかせ」と言っているのではなく、「しっかりと子供と向き合え」と言っているのです。

私は逆に、トパズさんの子供の気持ちが痛いほど伝わってきましたよ。

親の愛に飢えているんだなあ、と。

私には妹がいますが、幼少の頃はすぐに泣きわめいて、まさにトパズさんの子供のような感じでした。

それもそのはず、私の両親は私と妹が幼い時に離婚して父親が引き取りましたので、妹は母親の愛情に飢えていたわけです。

私の実の母親は、子供に対する愛情が薄いというのを幼心に私でさえ感じていたわけで、ただ私の場合は父親と祖父の愛情で満足していましたので、それほどではありませんでしたが、妹はそういうわけにはいかなかったということです。

私に言わせれば、明らかに子供の方がまともな精神の持ち主であり、「聖霊様のお陰だ」と言っているトパズさんの方がどう考えても精神を破壊されたような人間ですよ。

トパズさんの子供にとってトパズさんの存在は安心できる存在でなければならないのに、攻撃したくなる存在になっているのも頷けるというものです。

安心感を与えているならば、トパズさんが構ってくれなくても傍にいるだけで心が満たされる、だから聞き分けが良くなるわけですよ、トパズさん。

あなたが自分の子供に正しい愛情を注いでいるならば、あなたが仕事の最中には、傍で一人で勝手に遊んでいることでしょう。

母親の愛をたっぷり受けてさえいれば、正常な判断が困難な幼子であっても「今はお母さんの邪魔をしてはいけない」と、大人のように考えることが出来るんですよ。

このこと(安心感を与える存在)は、親子の関係に留まらず、あらゆる良好な人間関係の構築において重要なことです。

「聖霊様のお陰で解決できた子供の行動だ」ではなく「自分の行いの結果が招いた子供の行動だ」と考えられないと、同じことが何度も起きるでしょう。

明らかにトパズさんは、自分の非なる部分を反省している様子は微塵もなく、その非を子供から指摘されているという意識を持つことが何よりも重要でしょう。

トパズさんのような子供の問題を恥ずかしげもなく証として披露するなんて、人間として恥を知れ!!という話です。

あなたが最優先に目を向けなければならないのは、神でも聖霊でもなく、自分の子供ですよ!!

自分の子供よりも神や聖霊が大切だと言うならば、トパズさん、あなたは人間ではありません。

こういった問題が起きる原因の全てがRAPTに起因することであり、実はトパズさんに限らずRAPT信者全員が神の証として書くこと自体が自作自演化しているというカラクリなのです。

RAPT信者が抱える問題というのが、全てにおいてRAPTが原因だということです。

実にルシファーらしいと感じませんか。

トパズさんもRAPTの洗脳から解かれれば子供共々救われるのに、という私の思いです。

次に、「2025年11月(?)に女性の基準者としてミナさんが立てられた」と書いてありましたが、そうであるならば、なぜミナさんは、RAPT理論+αのサイトを使って、自己紹介も交えた神の証をきちんとしないのでしょうか。

女性の基準者としての任命は、神からの絶大な祝福でしょうし、人々の救いという目的達成のために、極めて重要な出来事だったはずなのです。

それでいながら、RAPTは有料配信でしか紹介していない様子で、人々の救いが聞いて呆れますよ。

しかも女性の基準者とは、様々な分野で世界一の女性ということであり、全ての女性が見習うべき存在の女性なはずです。

まあ、その前提で言いますと、ミナさんが女性の基準者だなんて、世間のいい笑い者になり、大恥をかくだけですが。(笑)

RAPTにも全く同じことが言えますね。(笑)

北川景子さんの方がよっぽど、女性の基準者として相応しいと思うのは私だけでしょうか。(笑)

女性の基準者というのが、どのような存在で、どのように人々の救いのための働きを担うのか、一般の人達にも伝える絶好の機会なはずなのに、それをやらない意味が理解できません。

と言いますか、私には分かっていますが、彼らには「やらない」ではなく「やれない」わけです。(笑)

まあ、RAPT集団には人々の救いなんていう目的は口先だけで微塵も考えて無く、内々で勝手に盛り上がっているだけで、単なる神様ごっこをしているだけです。

世の中の人達の多くが、RAPTのこともミナさんのことも知らない状態でありながら、中心者だの女性の基準者だの言っている時点で、ママごとに等しく甚だ滑稽です。(笑)

私が予言しますが、舌の根も乾かないうちに、ミナさんは女性の基準者から外されることでしょう。

根拠は簡単で、頑固で意地汚い精神異常のオッサンであるRAPTの人間性に、堪えられるはずが無いからです。

RAPTが信者に与える要求は、実践するのが困難なばかりでなく、理不尽さえ感じさせる要素があるためです。

ましてや女性の基準者ともなれば、RAPTの理不尽な要求に拍車がかかり、毎日のように叱られることでしょうから、ミナさんには絶対に堪えられなくなるということです。

私はRAPTの音声配信を聞いていても「RAPTがいつもニコニコしている」という話が想像できなくて、逆に、いつも怒ってばかりいるのではないか、という想像の方を何度もしたくらいです。

過去の記事にも書きましたが、朝の祈り会の音声配信の中でのRAPTは、何かいつも怒っている様な雰囲気で語るので、おおらかで笑顔でいる様な人間には全く思えませんでした。

まあでも、ルシファーから啓示を受けていれば、そう感じてしまうのが道理ですよね。

ただ、私としては女性の基準者になるのは川田さんだと思っていましたので、少なくとも川田さんの気持ちは大丈夫なんだろうかと、少々懸念されることではありますが。

また、ナナさんについてもRAPTの配偶者であり、「新しいアダムとエバの誕生だ」と言うRAPTに対して、何の不信感も抱かないのでしょうか。

アダムとエバというのは、キリスト教上では夫婦関係でしょうから、その観点で言えば「新しいアダムとエバ」はRAPTとナナさんであってもいい、いやむしろ、RAPTとナナさんでなければならないはずなのに、取りようによっては不倫みたいな構図ですよ。

穿った見方と言えばそれまでですが、川田さんとナナさんは果たして、精神的に平気でいられているのでしょうか。

平気でいるとすれば、本当の馬鹿ですね。

まともな人間であれば、RAPTに対して不信感を抱く、あるいは、RAPTと神に対して不信感を抱くと思うのですが。

ましてや、川田さんとナナさんは、RAPTが活動を始めた初期の頃から共に歩んできたわけです。

それなのに、後から来たミナさんに追い抜かれる結果となったわけで、普通ならば堪えられないレベルの話ではないのか、と思うのは私だけでしょうか。

聖書に書いてある「先の者が後になり、後の者が先になる」という状態は、その場の環境によっては、起きるとまずいことさえあるということです。

RAPT信者は「川田さんとナナさんはそのような器の小さい人間ではない」と反論するのでしょうが、女性の基準者の問題は器の大小の問題では無く、RAPTの存在価値を否定する非常に由々しき問題だとRAPT信者には理解できないでしょう。

川田さんとナナさんとミナさんの三人の中で、一番RAPTと共に活動や生活をしているのは誰でしょうか。

その順番で言えば、ナナさん、川田さん、ミナさんとなるでしょう。

何が言いたいかと言いますと、今回の女性の基準者の任命の大問題点は、RAPTの傍で最も教育を受けたはずの女性の中から選ばれるのではなく、RAPTと適度な距離(物理的な距離)を置いていた女性の方が選ばれたという事実です。

このことは、RAPTに直接教育や指導を受けても、成長も発展も見込める保証はない、と言っている様なものだとお分かりですか。

このことは、RAPT信者にとっては極めて重大な問題だと思いますが。

このことは、神の否定にも繋がる話ですよ。

世界で最も神の力を得ているはずのRAPTの傍にいながら、成長や発展はRAPTと距離を置いている人間が出来ている時点で、これまた矛盾を呈する話となるのですよ。

「物理的な距離は関係ない」とRAPT信者は反論したいでしょうが、それを言えばRAPTの存在価値まで否定することになりますが、RAPT信者はそれでいいのですか?

神さえいればRAPTなんて必要無い、という論理になりますが、RAPT信者はそれでいいのですか?

まあ、現実として神もRAPTも、この世には必要ありませんが。

例えば、プロ野球で言いますが、世界で活躍されたイチローさんに1ヶ月間、直接教わるのと、ユーチューブなどの動画により1ヶ月間、見て教わるのと、どちらが貴重でどちらが技術向上出来そうですか。

答えるまでも無いでしょう。

イチローさんに対して「物理的な距離は関係ない」と言う人なんて一人もいないでしょうし、逆に「物理的な距離は大いに関係する」となるでしょう。

イチローさんと直接関わることで、自分が抱いている疑問やイチローさんの体験談等をタイムリーに聞くことができるわけで、これ以上の場はありませんよ。

RAPTに対して「物理的な距離は関係ない」と言うならば、それは「RAPTから教わることは音声配信だけでも十分」と言っているに等しいということです。

従いまして、川田さんとナナさんが女性の基準者として選ばれなかった、という事実は、RAPTが無能か、川田さんとナナさんが無能か、のどちらかを現わしているのです。

RAPTが無能であれば、それはそれで大問題ですし、川田さんとナナさんが無能だとしても、結局はRAPTが無能だと証明してしまうことになり、結局のことろ、RAPTは無能者だ、ということが証明されてしまう結果となるのです。

「無能が無能を生む」を体現したRAPTということになりますね。(笑)

このように考えますと、女性の基準者の任命ひとつ取っても、RAPTの無能ぶりと理不尽さの象徴だということです。

女性の基準者が誕生したことは、快挙でも何でもなく、目出度いどころかむしろ、私からしますと、崩壊の序章ではないかとさえ感じさせるわけです。

今回は、この辺りで前編を終了しますが、後編は核心に迫るのは勿論、聖書における「アダムとエバ」の話は本当に異性の堕落なのか、そのことについても深く検証したいと思います。

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