RAPT氏の言葉に真理はありません。その11                                                                     ~RAPTの活動は、統一教会や創価学会と何ら変わらない~

正直なところ、最近ではRAPTのことなどどうでもよく、それも影響して記事の更新が大幅に遅れている原因の一つです。

別の記事のコメント欄にて、コメントを書いて下さっている方と定期的にやり取りをさせていただいておりますが、その中で「まさにその通りだ」と感じたことがありましたので、記事にしたいと思います。

RAPTは「キリスト教は統一教会や創価学会と違って、お金を取らない」と語っていたことがありましたが、完全に嘘を付いているのが皆さんには分かりますか。

そうです、RAPTは有料記事と朝の祈り会と称して、信者からお金をしっかりと取っています。

加えて、献金を強制しています。

献金の強制は、それこそ統一教会や創価学会と、やっていることが全く同じです。

更に、それだけでは飽き足らず、RAPT理論+αのサイトではサイト運営のためと称して、募金を呼び掛けています。

まだあります。

くだらない写真集を出して売り付けています。

どこが「お金を取らない」なんだ、と笑ってしまうレベルです。

ちなみに、写真集に至っては、能登の震災の様子を撮影したらしいですが、撮影しただけで終わりといった有様です。

これでは、面白半分で被災地に行ったか、物見遊山で被災地に行ったに等しく、あなたはお金儲けのために被災地に行ったのか、と指摘されても仕方がないでしょう。

はっきり言いますが、震災をお金儲けの道具に使っているのは、上級国民だけではなく、あなたRAPTもだ、と言っておきましょう。

RAPTの目的は一体何なのでしょうか。

あなたが稼いだ大金で被災者を支援したらいいのに、と思うのは私だけでしょうか。

まあ、信者から騙し取っている大金なので、信者以外に使うのはもったいないのかもしれませんね。

そもそもが、RAPTに本当に神の力が働いているならば、震災復興を迅速にあなたがやってあげることが出来ないのか、と思いますし、もっと言えば、人工地震だと言うならば、事前に地震を予測して防ぐことは出来なかったのか、と考えたくなるのは私だけでしょうか。

どう考えても、被災の様子の写真集なんて、神の人と自称する人の行動では無いでしょう。

その写真集によって、一体誰の役に立ったというのでしょうか。

被災者に対して支援活動を行っている世の中の人達の方が、RAPTなんかより遥かに立派です。

有料記事に関しては、RAPTが言うには「さゆふらっとの妨害がきっかけだ」と語っていましたが、だからと言って記事を有料化する理由にはなりません。

有料化しなくとも、メールマガジンのように対応するなど、いくらでも手段があるはずです。

実際に有料化したところで、工作員たちが買い漁っているわけで、これだけ取っても有料化が妨害を防ぐことは出来ないとRAPT自身が証明している様なものです。

お金儲けが目的だから有料化した、と説明された方がすんなりと納得できるでしょう。

統一教会や創価学会と同じように、どうしてRAPTはお金を取る方向へ考えが向かうのでしょうか。

答えは簡単です。

統一教会や創価学会の神とRAPTの神が同一神だから、と考えれば完全に筋が通ります。

ルシファーは悪なる神だから、お金を人間からむしり取ることばかり考えているのです。

そしてRAPTは、到底許しがたい言葉を実は発しているのです。

「朝の祈り会はたったの1500円、有料記事はたったの800円」だとRAPTは言いました。

信者が言うならまだしも、教祖がそういう発言をして許されるとでも思っているのか、そういうところがRAPTの馬鹿さ加減だというのです。

信者の皆さん、神の言葉をいただくのに「たったの」という表現が適切だと思いますか。

非常に不適切であり、神の言葉の価値に対して表現する言葉とは思えませんし、神に対して非常に失礼極まりない発言であり、暴言レベルです。

あなたがたの信奉する神の言葉は、「たったの」という表現で片づけられる価値の低いものなのでしょうか。

まあ、ルシファーの言葉であれば価値は低いでしょうから、「たったの」という表現が適切でしょうし、今となっては、くだらない内容ばかりだと理解したので、「たったの」という表現は妥当でしょうが、私に言わせれば「非常に高額」だと思います。

それくらい、内容の薄っぺらい有料記事であり朝の祈り会の配信なのです。

どうして言葉尻を捕らえる様なことを言わなければならなくなるのかと言えば、RAPTの根底には、人間を救うことよりも、お金儲けのことばかりがあり、目的が無意識のうちにズレてしまっているために生じてしまう現象なのです。

RAPTの隠れた本心(自分でも意識できない本心)が発する言葉として現れる、ということです。

詐欺師が詐欺をやっていることを認識していない状態なので、10年近く経っても改善の見込みが全く無いわけです。

信者によっては毎月2300円+献金となれば、「たったの」とは言えなくなる人さえいることでしょう。

只より高い物は無い、と世間では言いますが、「たったの」と言うくらいならばお金を取るなと言いたいです。

確かに、1500円と800円で月に2300円で、金額としては少額かもしれませんが、RAPTが活動を続けている間は延々と必要な金額となり、かなりの金額になってきます。

1度払えば終わりであれば、2300円は非常に手ごろで、誰でも聞くことが出来るでしょうが、毎月となるとそれこそ「塵も積もれば山となる」ということです。

これだけでも「たったの」という表現は不適切だと言えます。

加えて、毎月のように献金を要求しているRAPTです。

しかも、数万円の献金では納得せず、数十万円や数百万円でないと納得しないのがRAPTです。

はっきり言いますが、完全に金の亡者と化しているのがRAPTです。

これでは、統一教会や創価学会の方がまだ善良と言えるでしょう。(笑)

これだけお金が必要となるのに、「たったの」と言えるRAPTの神経が理解できません。

しかも、あなたがたの活動は、多くの人達を救いたい、幸福に導きたいはずなのではありませんか。

それなのに、お金を取ってどうするんだ、ということです。

お金が必要となれば、ましてや宗教なんだから、多くの人達が警戒心を持つ方が自然でしょう。

沢山の人達に興味を持ってもらえたければ、かつ、沢山の人達をキリスト教に繋げてあげたいのであれば、絶対に有料化すべきではありません。

ましてや、神の言葉でしょう。

私であれば、多くの日本人に聞いてほしいと思いますから、絶対に有料化しませんし、献金も任意とします。

神に対する感謝が献金だなんて、見当違いも甚だしいです。

神に対する感謝は、結果で示すべきことであり、お金の問題ではありません。

と言いますか、結果さえ示すことが出来れば、自動的にお金の問題は解決するでしょう。

だって、結果が出せたということは、神から祝福を受けたことと同意であり、他人に有益を与えながらお金を稼ぐことが出来ているはずで、従って献金も自発的に行えるようになる、ということです。

これが由緒正しき順序というものです。

私のことですが、両親に感謝の気持ちとして送金することがありましたが、お金で恩返しする余裕が出来たのも、勤務先で重役となったからこそであり、両親からすれば「立派になってくれた」と思って安心するでしょうから、その結果があるからこそ、お金で感謝を表すことが可能となったのです。

このことは、神を信じるあなたがたにも同じように言えるはずです。※「両親」を「神」に置き換えると分かり易いでしょう。

結果を出して神を安心させてはいかがですか。(笑)

百歩譲ってお金を要求するならば、信者たちが何不自由なくお金を稼ぐことが出来るようになってからでしょう。

RAPTは常々「安定を求めるな」と言っていますが、全くもって逆ですよ。

お金を稼ぐことが出来る安定した要素は、生きていく上で必要不可欠でしょう。

実際に、あなたRAPTも、有料配信や献金によって安定収入を得られているわけでしょう。

生活が安定するから人生を楽しめるのではないですか。

加えてRAPTは、「人間は、心の余裕、時間の余裕、お金の余裕、という3つの余裕があってこそ幸福度が増す」と語っていましたが(※いちいち有料記事で確認するのは億劫なので私の記憶です)、確かにこれは真理でしょうが、これらの要素は安定な生活無くして決して得られるものではありません。

安定を得られるからこそ心にも安心感が生じ、安定を得られるからこそ時間にも追われることなく、安定を得られるからこそお金にも不自由しなくなるわけです。

安定を得られていない状態で、誰が心と時間とお金に余裕が生まれますか。

「だから神を信じろ」というRAPTの言い分は、あまりにも無理が有り過ぎるでしょう。

実際に私は神やRAPTを信じて、生活の安定どころか不安定な事ばかりが生じました。

「安定を求めるな」という言葉は、まさに悪魔の言葉です。

どうして平気でそのような血も涙もない様な発言が出来るのかと言えば、RAPTの背後に聖書の神の正体である悪なるルシファーがいるから、と考えれば整合性が取れるでしょう。

まあ、有料化した時点で、RAPTは人間を差別化した、と言ってもいいでしょう。

RAPTは、他人に有益を与えるどころか、他人に迷惑を及ぼしながらお金を稼いでいると言えるのです。

「お金も稼ぐことが出来るようになった」と、RAPTは神の祝福だと語っていましたが、彼のやっていることは詐欺師そのものです。

しかしながら、何度も言いますが、RAPTの神の正体がルシファーだと考えれば、RAPTのやっていることに一貫性が出るのは勿論、統一教会や創価学会と何ら変わりがないことにも説明が出来るということです。

次に、RAPTは結婚願望者を募っています。

統一教会がやっている合同結婚式と全く同じことをやっているのに、RAPTは「統一教会がやっている合同結婚式とは違う」と言っているわけです。

何がどう違うんだ、ということをやっているのに。(笑)

結婚式はやっていない、と反論でもするつもりでしょうか。(笑)

信者同士が集まって、結婚願望者同士で付き合うなり結婚するなりするわけでしょう。

言葉が違うだけで中身は全くもって同じですよね。(笑)

お見合いじゃん。(笑)

このように、馬鹿げたことを平気でやっているのがRAPTです。

まあ、実際には結婚願望者はそれほど集まっていないようですが、当たり前ですよ。

結婚は、お互いが自然と出会って、お互いが自然と惹かれ合って恋愛をしてするものでしょう。

強制的に出会いの場を作って信者同士を会わせて結婚させるなんて、結婚相談所でもやるつもりでしょうか。

はっきり言いますが、強制的に出会いを作られ、お見合い形式で付き合った結果、結婚したところで、絶対にうまくいきません。

RAPTは、世の中の夫婦の多くが不幸を味わっているように語っていますが、決してそんなことはありません。

勿論、毎日のように接するわけですから、時には喧嘩もし、時には嫌気が指す時もあるでしょう。

離婚する男女も決して少なくありませんから、不幸を味わっている夫婦は一定程度いるのは事実でしょう。

しかしながら、そういう一部を取り上げて、さも全ての夫婦が不幸を味わっているかのように発言するのは、印象操作も甚だしいです。

やはり、自分の子供がいるというだけで幸福感を味わえる人も多いでしょうし、旦那の収入で満足している女性も多いでしょうし、妻に対して満足している男性も多いことでしょう。

結婚は人生の墓場だという人もいますが、それは好きな人と結婚できなかった人や、愛が冷めてしまった夫婦にとってはそうかもしれませんが、全ての人がそういうわけでは無いでしょう。

私自身も結婚願望は若い時から現在も全くありませんが、愛した人と一生を共にできるというのは幸福だと私でさえも思います。

私が結婚願望を持てないのも、そういう女性と出会えていないことが大きな原因かもしれません。

その時々で好きになる女性は出来ますが、結婚したいという気持ちにまではなりません。

恋愛の中でも特に、一目惚れした男女同士であれば、それこそ一生涯、幸福度の高い結婚生活が送れるのではないでしょうか。

RAPTは、芸能人や有名人たちがオシドリ夫婦を演じているかのような発言をしたこともありましたが、あなたは当事者たちをその目で確かめたのか、と指摘したくなります。

例えば、お亡くなりになっていますが、野村克也沙知代夫妻は、本当に仲が良く幸せだったんだろうなあと感じますし、落合博満信子夫妻も、これまた本当に仲が良く幸せなんだろうなあと感じます。

仲の良さを演じている風には全く見えません。

落合博満氏も、信子夫人に一目惚れだったと語っています。

このように、結婚とは自然と好きになった者同士ですることが、最も良いことなのです。

従いまして、RAPTがやろうとしている結婚願望者募集は、統一教会の合同結婚式と何ら変わりが無いと言えるのです。

まさに単なるお見合いです。

しかも、結婚が許可されるのも、信仰を持ってから3年経過しないと駄目らしく、そもそも、どの時点で信仰を持ったと定義するのか、そこが曖昧なのです。

RAPTを信じた時なのか、神を信じた時なのか、祈りを始めた時なのか、RAPTの有料記事を買い始めた時なのか、はっきりしないわけです。

簡単に3年と言いますが、結構長いです。

経過してみれば早く感じることもあるでしょうが、結婚願望者にとって3年も我慢するのは修行僧のようなものでしょうし、しかも信者に限定されるとあっては、不安しかないでしょう。

やはり、自分が好きになった異性と結ばれることこそ、幸福の近道だと私は考えます。

だいたい、キリスト信者の中でもRAPT信者は特に、人間性が最低な奴らしかいませんから、そういう者同士が結婚したところで、絶対に幸福になんかなれません。

それどころか、RAPTの言いなりで結婚してしまえば、人生の破滅が待っています。

本当に神が愛ある存在であるならば、信者同士に限定せず、当人たちの環境下で出会いを提供するべきでしょう。

と言いますか、本当に神が愛ある存在であるならば、人間の多くがキリスト信者となれるように世の中を作るのが当然でしょう。

そもそもRAPTの本拠地である愛媛にまで行かなければならず、失敗すればそれこそ時間とお金の無駄となってしまいます。

再度、安定について書きますが、結婚についても人生の安定を求めてするものではないでしょうか。

精神的に不安定な人と結婚したいと思いますか。

お金に不自由している人と結婚したいと思いますか。

時間に追われてばかりいる人と結婚したいと思いますか。

安定を求めるのは悪だという人と結婚したいと思いますか。

たとえ好きな人と言えど、それらの不安定な要素があれば、結婚に躊躇するでしょう。

それこそ、結婚する多くの男女は、心と時間とお金に安定感を覚えたので決断できたわけでしょうから、安定を求めない前提では決断できないでしょう。

安定を求めない生き方というのは、人生そのものの否定と言っても過言では無いでしょう。

このように、RAPTのやっていることは、信者からお金をむしり取り、信者同士での結婚を強制する、そして安定した生活を禁じる、これではRAPTが言う悪魔教団体と何が違うというのでしょうか。

いや、悪魔教団体の方が人生の安定については禁じていない分、遥かにましです。

今回の記事だけ取っても、RAPTを信じることが如何に危険であるか、まともな人であれば理解できると思います。

私もRAPTには相当お金を費やしてしまい、本当に愚かなことをしてしまったと後悔の念に晒されています。

合計で100万円近く、RAPTにむしり取られました。

私から言わせていただければ、キリスト信者、特にRAPT信者には、すぐにでもキリスト信者をやめて、禁欲生活から解放されることを強く希望します。

神の裁きとやらは全く起きませんから、仮に何か悪いことが起きたとしても、それはどこまでも自分の行いの結果だということを肝に銘じておけば十分でしょう。

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