今回は、論より証拠という言葉の通り、私の実体験からお話しさせていただきます。
まず、2017年4月24日の有料記事のタイトルですが「あなたの病は必ず治るから祈り続けなさい」という内容が語られています。
これも私の経験から言わせていただくと、非真理の一つです。
私は、30歳を過ぎた頃から、原因不明の腹痛、軟便、下痢、胸やけなどに約10年間悩まされてきました。
病院にも幾度と無く通院しましたが、原因を特定できず、過敏性腸症候群や逆流性食道炎などの診断を下されて終わりでした。
生まれつきの体質であれば、私も諦めていたでしょうが、30歳くらいまではお腹の調子など気にしたことが無い位、健康でした。
勿論、数年に1度くらいは、お腹を壊すこともありましたが、その程度の頻度でしたので、全く気にならなかったわけです。
だから私は、絶対に明確な原因があってお腹の調子が悪くなっているはずだ、と諦めることなく自力でネットで調べまくった結果、「小麦粉=グルテンが原因」に辿り着いたわけです。
信仰を持つ前の話です。
小麦粉を極力控えたことで、症状は劇的に改善されましたが、小麦粉を食べていない時にもお腹の調子が悪くなることがあり、現在でも定期的にお腹の調子を悪くします。
ただ、当時に比べれば現在のお腹の調子の不調は、不調の域に無いとも言えるくらい、回復しています。
それ程に当時は、例えるならば、毎日のように食中毒になっている、と言えるほどお腹の調子が悪かった、というわけです。
信仰を持った私は、先ほどのRAPTの有料記事の内容が嬉しく、お腹の調子が元通り安定するように、毎日のように祈っていました。
しかしながら、当然ですが結果は全く変わりませんでした。
神の力が有れば、お腹の調子を元通りにすることなんて、朝飯前のはずです。
それこそ、私に世界一となれるような何らかの実力を与えることよりも簡単なはずです。
何せ、人間を作ったのが神のはずですから、お腹の調子を良くするも悪くするも、神には簡単なはずです。
聖書にも、イエスや十二弟子たちは、一瞬のうちに人々の病気を治した場面が描かれています。
背骨が曲がった老人が、瞬く間に背筋が伸びるという奇跡が書かれてありますが(笑)、お腹の調子を元通りにすることと、曲がった背骨を元通りにすることと、どちらが難しいのでしょうか。
数日の祈りだけでは改善されないのは理解も出来ますが、私は3年間以上、毎日のように祈り続けてきたわけで、お腹の調子が完全に回復しなければ嘘でしょう。
このことも、RAPTに疑念を抱く要因の一つとなったわけです。
要するに、神を信じれば病気が治るという話は大嘘だということです。
私の義の条件が足りないだとか、私の信仰生活に問題があるだとか、私の祈りが足りないだとか、そのような屁理屈で指摘ばかりして、本人に問題があるかのように誤誘導するのではなく、結果がRAPTの話した通りになっていない現実を問題視すべきでしょう。
と言いますか、私の足りなさを指摘する前に、私のお腹の不調に対して具体的な解決策を授けることさえも出来ない神を、一体どうやって信用すればいいというのでしょうか。
RAPTは「祈りというのは、叶うまで祈り続けなければならない」と語りますが、確かにその通りでしょうが、いつ願いが叶うか分からない、そもそも叶うことが実現するのか分からない状態で祈り続けることこそ、苦痛であり何の希望もありません。
翌日には叶った、1ヶ月後には叶った、等のように、具体的に短期間で叶った経験が幾つもあるからこそ、諦めずに祈り続けられるのであって、祈りが叶う体験を全く出来ていない状態では、希望もクソも無く、不安で仕方がないでしょう。
何度も言いますが、信仰者というのは、内容はどうであれ、世の中の人達よりも義の条件を立てているわけで、世の中の人達が健康で、信仰者が健康でない現実は、あってはならないことでしょう。
万歩譲って、RAPTの指摘通りだと仮定しても、義の条件をどんなに立てたところで同じだということになり、信じる価値は一切無いと言っていいでしょう。
それでいながら、RAPTの言うことを聞かないと救われない、なんて言い草は、虚言に等しいでしょう。
と言いますか、お腹の不調は何も私が悪いわけでも何でもなく、それこそ神を信じた時点で直ちに完治させてくれるべきであり、義の条件など一切関係ないと思うのは私だけでしょうか。
いいですかRAPTさん、あなたの話した通りに結果がならなければあなたの話は嘘だ、ということを理解しましょう。
いいですかRAPTさん、たった一人でも、あなたの語る言葉の通りに結果がなっていなければ、そのことを真理だと断言してはなりません。
と言いますか、何らかの病気を抱えているRAPT信者の中で、一瞬のうちに病気が完治したという人がいれば、コメント欄にて主張してください。
断言できますが、そのような人は一人としていないでしょう。
有料記事の初期の頃になりますが、川田さんが風邪を引いた時に、なかなか治らないとRAPTが語っていたことがありましたが、これもよくよく考えますと随分と変な話です。
風邪くらい、RAPTが一瞬で治してあげることは出来なかったのでしょうか。
加えて、RAPTの父親は癌を患っていたと言いますが、それも一瞬で癌を完治させることはRAPTに出来ないのでしょうか。
「信仰者には、その家族も恩恵を受けられる」なんてことをRAPTは言っていましたが、それも嘘だと自ら証明していますね。
新約聖書に登場する十二弟子たちでさえ、様々な病気を瞬時に治してあげているというのに。
その時点で、RAPTが神の人であるというのが嘘だと言ってもいいでしょう。
RAPTやRAPT信者は、こう反論するでしょう。
聖書に書かれてある、病気が一瞬で治った人達というのは、長年、信仰を持っていた人たちであり、だからこそイエスに会った時に病気が直ちに癒されたのだ、と。
であれば、現代のイエスに匹敵するのがRAPTなはずですから、RAPTに会った信者や、RAPTを信じた信者には、一定程度の奇跡が起きないと嘘でしょう。
もしかして、信仰歴の短さを指摘でもしますか。
であれば、信仰歴についてしっかりと語るべきであると思いますが、そもそも、信仰歴が問題となるならば、神を信じても祈りそのものがすぐには叶えられないということになりますね。
こういうのを世の中では、インチキと表現するのです。
RAPTの語る話には、条件が多過ぎると言っていいでしょう。(笑)
要するに、RAPTやRAPT信者が、どんなに反論しようが、その反論に突っ込みどころがあると、私は主張しているわけで、従いまして、RAPTの語る話は非真理であり、聖書も嘘つき書物だと結論付けているわけです。
私が神であるならば、その人の現在抱えている願いを、自分を信じてくれた時点でほとんど全て叶えてあげます。
信仰を持つのに必要な願い、信仰生活を送るのに必要な願いは、条件云々ではなく、直ちに叶えてあげます。
勿論、願いの中には、叶えてはならない願いもあることでしょうから、それ以外は全て叶えてあげます。
それでこそ、愛ある神だと言えるのではないでしょうか。
それでこそ、多くの人達が神を信じる気になれるのではないでしょうか。
ましてや病気の完治は、信仰を持つのにも信仰生活を送るのにも、絶対的に必要なことでしょう。
「まずは私があなたの願いを叶えてあげた。次はあなたが私のために義の条件を沢山立てて頑張って欲しい。」と励ますのが、本当の善良なる神のすることではないですか。
だから何度も言っていますが、先に条件を立てさせるなんて、順番が逆であり、嫌がらせですよ。
確かに、願いによっては、叶えるのに立てるべき条件=本人の努力、というのが必要になるでしょうが、全ての願いに対して先に条件を立てさせて、願いが叶うのかどうかさえ、はっきりしないというのは、完全に意地悪の範疇です。
祈りが叶うために、どれほどの義の条件を立てる必要があるのか、個人個人、生活環境や境遇も異なるわけで、個人個人に見合った義の条件が自ずからあるはずで、RAPTの神とRAPTのやっていることは、本当に単なる嫌がらせですよ。
そもそも、何らかの条件が必要となるくらいならば、あの有料記事の見出しの文章は、信者を騙している文章とさえ言えるでしょう。
「これこれをしなければ、どんなに祈り続けても病気は治らない」と書くべきだと言っているのです。
と言いますか、願いが叶うために何らかの条件が必要となっている時点で、RAPTの言う通りに実現しなくても、当人のせいに出来るというカラクリです。
RAPTは、出来ない理由づくりの名人、他人のせいにする名人とさえ言えるでしょう。
私の周囲でも、仕事の出来ない人や仕事に対していい加減な人というのは、全員と言っていいほど出来ない理由を必ず述べますし、他人や環境のせいにします。
出来る方法を考える頭、謙虚な精神を持っていないのです。
このことこそ、人間が一番成長できない要因です。
だから、RAPTや十二弟子、RAPT信者は、全くと言っていいほど、何の成長も見受けられず、それどころか年々、劣化しているのではないかとさえ私は感じています。
おそらく現在でも、RAPT自身の活動が上手くいかなかったり、信仰者の祈りが叶わなかったりすることを、信仰者のせいにしたり、存在しないサタンのせいにしたりしているのでしょうが、そうやって人のせいにしておけば、出来ない理由をいくらでも述べられますから、有料配信で何とでも断言して話せるというわけです。
信仰者の皆さん、特にRAPT信者の方々、祈りで病気は絶対に完治しませんから。
何らかの病気を抱えている信仰者たちは、従来通り医者や専門家に頼るか、独自で調べ上げるかなどして、治らない病気に向き合いましょう。
ちなみに、もしも若い時のようにお腹の調子を一切気にすることなく健康でいたならば、私はRAPT理論には絶対に辿り着いていません。
少しお話しさせていただきます。
お腹の調子が悪かった当時、ネットで過敏性腸症候群の治療をやっているという整体師の医師のホームページに辿り着きました。
不思議と、その医師の先生のことが気になり、是非受診してみたいという思いに駆られたのです。
しかしながら、その先生は宮城県仙台市に在住されていて、私は福岡在住でしたので諦めていました。
そこで奇跡的なことが起きたのです。
仕事で偶然にも、宮城県仙台市に赴くことになったのです。
それにより、その先生の病院での受診が可能となったのです。
その先生はメルマガをやっていて、私も会員登録をさせていただき、その6、7年後に送られてきた先生のメルマガに、望月龍平さんのツイッターが紹介されてありました。
望月龍平さんとは、東京新聞の記者である望月衣塑子さんの弟です。
コロナ騒ぎが起きていた2020年当時、彼が陰謀論的な内容のツイッターをやっていて、それに物凄く興味を抱いた私は、陰謀論を調べまくった結果、RAPT理論に辿り着いてしまったのです。
このような偶然、普通は有り得ないでしょう。
要するに、お腹の不調によりその先生に出会ってRAPT理論に辿り着くことになったのは、RAPTの神=ルシファーによってもたらされたものだと確信しています。
一つ、気付いたことがあるのですが、私にとってのお腹の不調と、Kさんが指の障害を持ったことと、起きていることが全く同じような気がしてなりません。
Kさんが指の障害をルシファーによって引き起こされたものと仰っていますから、私のお腹の不調もルシファーによってもたらされたものと結論付けているわけです。
何せ、Kさんも私も完全回復にまで至っていませんから。
このように、私はルシファーによって人生を導かれてきたのだと思うしかない経験をしたということです。
現在では、反RAPTとなってブログを書いていることも、ルシファーによる導きだと言えるでしょう。
このような体験をした上でRAPT理論に辿り着けば、「神は存在しているし、神に導かれた」と思わない方がおかしいでしょう。
次回も私の経験談を書かせていただきますが、それもルシファーによる導きだったと考えると納得ですし、そもそも地上天国とは一体何だったのか、私なりに考察しています。

コメント