RAPT氏の言葉に真理はなりません。その4                     ~可哀想でならない犬の死、本当の責任は誰にあるのか~

2025年5月に、RAPTが飼っていた犬の1匹が死ぬという出来事があり、それを祈り会の言葉の中で語っていました。

RAPT曰く、犬の死が神の裁きだと言うのです。

「十二弟子や信者たちの不従順が犬を死に追いやった」とRAPTの神がRAPTに啓示を与えたそうです。

そんな馬鹿な話がありますか!!!!(怒)

原因が十二弟子や信仰者や犬の世話をしていた人にあるなんて言い草、善良で愛ある神の発言とは信じられません。

皆さん、RAPTのこの発言を聞いて、神の屑であり人間の屑だと思いませんか。

私がRAPTであれば「神様、それはいくら何でも理不尽なことです」と、たとえ自分の命が奪われようとも神を激しく問い詰めます。

神の裁きの方法としては、明らかに極めて不適切と言わざるを得ません。

信者の味方なはずなのに、やっていることは明らかに信者の敵です。

よくもまあ、十二弟子や使命者の人達は、このような血も涙も無いかのような神や人の傍で、一緒に活動できるものだと、悪い意味で感心します。

ましてや、信仰者はRAPTの犬のことなど一切あずかり知らないことであり、濡れ衣もいいところですし、責任転嫁もいいところです。

善良でまともな人というのは、悪い出来事が起きた時には、まず自分に落ち度が無かったかどうか考えるものです。

それが謙虚さというものではないでしょうか。

申し訳ないですが、RAPTからは彼が言葉を伝えるようになった2017年からというもの、謙虚さは皆無であり、年々横暴さが増し加わっているようにさえ感じます。

それどころか、全て悪人のせい、全てサタンのせい、全て信仰者のせい、全て十二弟子のせい、全て工作員のせい、全て日本人のせい、なのです。

別途記事にするつもりですが、RAPTの発言の根幹は「他人のせい」と「出来ない理由」です。

それでは飽き足らず、何と犬にまで問題があったと言う始末です。

飼い犬の中で一番性格に問題があった、と言うのです。

まはや頭がいかれているでしょう。

飼い犬が死んで犬に問題あり、と考える人間なんて、世界中どこを探しても見つけることが不可能レベルの話ですよ。

飼い犬が死んだ時というのは、全ての飼い主が犬の死を悼んで悲しむでしょうし、もっと自分がしっかりしていればもっと長生きできていたのではないか、などと犬に対して申し訳ない気持ちで一杯になり、同時に、犬に心から感謝するのではないでしょうか。

そのような話こそ、祈り会の言葉の中で語るべきではないでしょうか。

死んだ犬がどのようにRAPTたちを幸福にしてくれていたのか、その犬がどのような生活を送っていたのか、RAPTの犬に対する感謝の念など、信仰者たちもそのような話の方を聞きたかったはずです。

それを聞いた時にこそ、信仰者たちは自ずと「自分の祈りが足りなかった」「自分の信仰が足りなかった」などと心から素直に自然と悔い改めることができるのではないでしょうか。

そのように信仰者の気持ちを自然と導いてあげてこそ、愛ある人です。

それをまるで犬が悪いかのようにまで話を発展させるなど、同じ人間とは思えません。

たとえ犬の性格に問題があったとしても、犬には落ち度何かありません!!!!(怒)

一方では確かに、犬の世話をしていた人にも落ち度はあったと思います。

犬が死んだということは、少なからず、その犬に関わった全ての人たちに原因があると考えるのが自然です。

殺人が起きた時にも同様の捜査を警察は行います。

しかしながらRAPTは、全てが犬の世話をしていた人に原因があるかのような物の言い方をしたのです。

あろうことか、その世話をしていた人が殺したのではないかとさえ、祈り会の中で語っていましたが、たとえそうだとしても、証拠が無い以上、憶測でそのような発言は絶対に許されません。

RAPTのやっていることは名誉棄損であり、下手をすればRAPTの発言こそ法に触れます。

証拠も無いのに死に対して殺しを疑うなんて、まともな人の言うことではないです。

仮に犬の世話をしていた人が工作員であったとしても、その証拠を掴むまでは憶測で相手を貶める様な発言は絶対にしてはならないことです。

このことはRAPT本人の教えではなかったですか。

その教えを反故にして、このような発言がRAPTに許されている現状を、信仰者たちは何とも思わないのでしょうか。

これが本当に神の人がすることなのですか。

警察が冤罪をしかけることと、一体何が違うというのでしょうか。

もはや精神異常者でしょう。

犬が死んだわけですから、自分の世話の仕方に問題がなかったか、犬に対する自分の知識が本当に正しかったのか、他人を疑う前にそのことについてじっくりと検証すべきではないでしょうか。

そしてそのことこそ、発言の中で説明すべきではないでしょうか。

自分の不注意などについては、大いに憶測で語ってもらって大丈夫です。

私が感じるに、RAPTの犬に対する知識にこそ、大間違いがあると考えています。

だから犬は死んでしまったのです。

普通の人間であれば、そのように考えるのが自然でしょう。

血便によるものだったらしいので健康を害したことは間違い無いでしょうが、誰にも気付いてもらえず苦しむように死を迎えなければならなかった犬が憐れでなりません。

世の中で犬を飼っている人達の方が、RAPTよりよっぽど犬の変化に敏感でしょうから、RAPT以外の人に飼われていれば命を失うことなく済んだことでしょう。

これだけでも、RAPTの犬に対する愛は完全に欠落していると言っていいでしょう。

他人に犬の世話を任せておきながら、何という無責任ぶりでしょうか。

前回の記事の通りで、世に関心を持っていない人(RAPT)が世に意識を向けることは出来ず、その結末はこのようになる、という典型のような出来事だったと私は考えていますし、犬が一番大切、と言う人達も沢山いるでしょうから、それでこそ犬にたっぷりと愛情を注ぐことが出来るのです。

犬が一番大切、と言う人達にとって今回の話は、絶対に許せない話であり、信じられない話であり、RAPTのような冷酷非情な人間がこの世にいるという残酷さに、打ちひしがれてしまうことでしょう。

神の裁きと言うならば、それこそRAPTが裁かれたということであり、RAPTに悪があり罪があると考えるのが普通であり、つまりは、RAPTの犬に対する知識に間違いあり、と結論立てても止むを得ないでしょう。

結果から自分の有り様を検証せよ、こんな低レベルの話を神の人に伝えなければならないなんて、私の方こそ情けなくなってしまいますよ。

こう考えるのが、RAPTが言う神の裁きの定義に照らし合わせても道理でしょう。

他を疑う前に自分たちに非が無いか確認作業を徹底するのが、人としてあるべき姿です。

そういう姿に多くの人々が共感を覚えるのです。

更に、もっと容認できない、到底許し難い発言をRAPTは発してしまいました。

「義人への見せしめとして犬を殺した」と言うのです。

RAPTアウト~!!(ダウンタウンの笑ってはいけない風)

何というおぞましさでしょうか。

そもそも見せしめならば、犬のようなか弱き存在を殺すのではなく、いや、RAPTの神には「犬を殺す」という選択肢しかなかったのか、と言いたいです。

と言いますか、「見せしめで殺す」なんて基本的にはヤクザなどの悪人が行う所業であり、RAPTの神は義の神でも愛の神でもありません!!!!(怒)

どう考えてもRAPTの神は悪なる神です。!!!!(怒)

義人を苦しめて楽しいですか!!!!(怒)

犬に何の罪がありますか!!!!(怒)

弱いものいじめがそんなに楽しいですか!!!!(怒)

どうして信者の犠牲とならなければならないのか、犬が可哀想で涙が出てきます。

ちょっと熱くなりました、申し訳ありません。

仮に犬の死が神の裁きだとしても、信仰者の義の足りなさと、上級国民の悪事と、どちらが先に裁かれるべきだと皆さんは考えますか。

誰だって上級国民の悪事の方が真っ先に裁かれるべきだと考えるでしょう。

上級国民の悪事に対する裁きは放置して、飼い犬を殺して義人への見せしめを優先するなんて、どう考えても理不尽極まりないでしょう。

RAPTは「上級国民も十分に裁かれている」と言うのでしょうが、犬の死に比べれば、上級国民に対する裁きなんて裁かれていないに等しいです。

何度も言いますが、RAPTの飼っていた犬が死んだということは、RAPTが裁かれたのではないか、と考える方がどこまでも自然でしょう。

それが理屈というものでしょう。

RAPTは常々、発言の中で「自分は完全ではない」と主張しています。                                 ※完全な人間とは聖書で言われている罪が全く無い人間のことを言います。

RAPTが完全でない以上、RAPTにも責任があることは明白です。

それを、犬の世話をしている人に問題があるかのように内々で話すならいざ知らず、公然と音声配信で伝えるのは、あまりにも酷すぎますし常軌を逸した暴挙と言わずして何と表現しますか。

犬の世話をしていた人が神から受けた100個の祝福を挙げることが出来なかったという理由で工作員認定し、犬を殺した犯人扱いするのは、名誉棄損であり、基本的人権の尊重に違反する行為です。

勿論、私もRAPTらの日常を見ているわけではないので、何が起きていたのか時系列も一切分かりませんので、私の書いた内容は行き過ぎな部分もあるかと思いますが、あの日の音声配信を聞けば、きっと誰だって怒りが湧いて来るはずですし、黙っていられないと言う人もいるのではないでしょうか。

このように言われたくなかったら、堂々と音声配信やRAPT理論+αのサイトで、神からもらった100個の祝福を言ってみろ、とRAPTへ言いたいですし、もっとRAPTらの日常をどんどん配信すべきでしょう。

そうでなければ、有らぬ誤解も必ず生じます。

しかしながらRAPTには絶対に出来ません。

彼の受けた祝福を世間が聞いた時「俺らの方が幸せだ」と呆れ返られるのは必定であり、それこそ信者離れが後を絶たなくなるのが本人も分かっているのではないでしょうか。

「私の書いている内容が誹謗中傷だと言うならば、RAPTこそ100個の恵みを書いて私に送って来なさい(笑)、私があなたの代わりにこのブログで伝えてあげますから」と伝えて記事の終わりといたします。

次の記事に書きますが、RAPTはたとえ私の記事に辿り着いたとしても、無視するしか手段はありません。

下手に私と関われば、RAPTの嘘がいよいよもって白日の下に晒されることになるからです。

その根拠の一つとして、RAPTの下には女性信者ばかりが残っている不可解な現状があるのですが、どうして男性信者はほとんど残らないのか、それを私なりに明らかにしたいと思います。

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