ヤフー知恵袋で、とんでもないキリスト信者を名乗る奴が現れました。(笑)

先日、私はヤフー知恵袋を使って以下の質問を投稿しました。

聖書にお詳しい方、質問させていただきます。                                                                            新約聖書のルカによる福音書に、イエスは聖霊によって生まれた子供として書かれてありますが、現実にはどういうことでしょうか。                                     普通、子供ができるには男女の性交渉が必要なのに、イエスの父母は性交渉なくイエスを身ごもったように書かれてあります。                                                                                   とある方が、「物理の法則に反することは起きることは無い」と言っていたのですが、新約聖書は、けっこう物理の法則に反する記述が目立ちますよね。                                                                              その方は聖書は比喩で書かれてあるとも言っているのですが、その方は比喩の内容を全て具体的に説明してくれません。                                         旧約聖書にも、日時計が後戻りした、などと物理の法則に反する記述が所々ありますが、こういったことを合理的に説明できる方、よろしくお願いいたします。

このように質問をしたところ、10個以上もの回答が寄せられましたが、そのうちの一つが非常に攻撃的な回答を寄せて来た奴がいました。

「奴」と表現したのは、まともな人が回答をしてきたように思えなったからです。

この質問から、私が乱暴者のように映りますか?

普通の質問だと思うのですが、この人物は怒るかのような回答を書いてきたのです。

結論から言うと、あなたは創造主に対する信仰を持っていますか?聖書というのは創造主に対する信仰の書です。したがってその信仰を持たない人間が、興味本位でいくら読んだところで的はずれになり、内実を知ることはできません。 現代人に多い、この世の何事でも科学によって合理的に説明がつくという思い込みが、聖書というものを読む妨げになっているということです。 普通の学校教育では、森羅万象すべて自然科学で説明できるという思い込みを刷り込むわけで、あなたもその一人ってわけです。 しかし、現実世界は科学で説明できないこともたくさんあります。日常的なところで言えば生物の誕生と死です。生まれる前と死後はどうなっているのか誰も断言できません。 聖書には神話というものがあって、それは聖書に限ったことではなく昔の人たちの言わば世界観みたいなものですが、これを現代の科学で理解しようったって思考回路が違うのだから無理ってもんです。合理的に解釈しようとする人たちはこじつけめいたことを言います。その「比喩」っていうのもその類でしょう。イエス・キリストに関する超常的な記事はすべてキリスト神話としてくくれます。聖霊による処女降誕しかり復活しかりです。そもそもキリストは先在の神の子って言われています。先在というのは誕生前の状態です。とうてい物理法則なんかの及ぶところではありません。 聖書をお読みになる時は、すべてについてではないにせよ、物理法則とか合理的とかいった考えにはふたをするほうがよいでしょう。そういうことを思って読んでいると、かえって誤解することにつながるからです。だって聖書の記事を書いた人は霊感を受けて書いており、物理法則とかはよく知らないし、そもそもそんな科学的原則にもとづいて書いているわけではないんだから…。あなたがたとは動機が違うのです。よく聖書の創世記を世界の成り立ちを書いたものとして誤解している質問者が知恵袋宗教カテには目立つけど、聖書というのはそういう説明の動機で書かれているわけではないんですよ。あくまで信仰の書です。神に対する信仰を持っていない人たちがいくら読んだって本質的なことはわかりません!

読むのもうんざりしてしまうほどの長文です。(笑)

そもそも、聖書の内容を質問することが、信仰者にしか許されないことなのか、と言いたくなりますね。

だったら、どうして一般市場で売られているのでしょうか。

それならばキリスト教を信じる者しか購入できない、読めないようにすればいいでしょう。

教会でしか購入できない、読めないようにすればいいのに、と思います。

信仰があるかどうかは、どうでもよくないですか。

この人物が言うには「聖書はあれこれ考えて読むな!」ということらしいです。

いいですか、こういうのを横暴と言うのです。

キリスト教と言うのは、考えることを禁じる宗教なんでしょうか。

聖書という書物は、読めば読むほどあれこれ考えない方が難しい、そういうことが書かれてある書物なわけです。

といいますか、聖書に書かれていることも矛盾だらけです。

はっきり言いますが、聖書を読む必要は一切ありません。

少々話が反れましたが、この回答者からは偉そうな感じが伝わって来ませんか。

この回答者からは人を見下しているような感じが伝わって来ませんか。

RAPT氏なども同じような類です。

キリスト信者は基本的にこのような人達だということです。

普通の人の対応として、質問に対する答えを丁寧に書くものだと思うのですが、この回答者は質問に対する答えと言うより、明らかに人格攻撃を行っていると言わざるを得ません。

よって私は以下のように返信しました。

いやあ、あなたの方が思考回路大丈夫ですか?って感じです。                                                      あなたはキリスト教の信仰があるということらしいですが、申し訳ないですがあなたの書いた内容が正しいと言える根拠は何なのですか?                                                             そもそもクリスチャンたる者が、物の言い方をわきまえず、人間を見下すかのような書き方をしている時点で、あなたこそ人として最低です。                    私には私の思うところがあって質問しているわけで、あなたの考えが全て正しいかのような物の言い方は極めて不愉快です。                           実は先日まで私はクリスチャンでしたが、聖書に限らず、おかしい点が多いと感じたゆえに神を信じることをやめたわけです。                          あなたはまず、人格形成から学ぶべきでしょう。                                                               それに、アカウント非公開にしている時点で、卑怯だと言わざるを得ません。

すると、回答者から以下のような返信が来ました。

あなたの勝手で都合のよい「クリスチャン」イメージにおつきあいするほど暇ではありません。聖書を読んでいないことによる偏見でしかないのですから。あなたのようにはじめからクリスチャンに対して批判的な態度で質問する者に対しては厳しく対応することは聖書的にも何らおかしなことではなく、キリスト教というと「愛」ばかりを強調して、あなたのような批判者や迫害者を甘やかす人間ばかりだと思い込んでいる世間の甘ったれた見方の方が間違いなのです。イエスは「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」とも言っており、迫害者や偽善者に対して厳しい態度でのぞんでいます。世間の不信者は、聖書の中でも都合のよいところだけを取り上げてキリスト教の揚げ足取りのような批判をこの知恵袋の宗教カテでも繰り返していますが、自分たちの無教養をさらすだけです。

あなたの正体がキリスト教の迫害者であることは、「イエスはどんな人さん」の回答に対する「それならば聖書は嘘を書いている、ということになります。」云々といった返事1つとっても明かなことです。 こういうことを最初から引き出してキリスト教を貶めるための誘導をしているわけですよね。悪霊による質問と言っても過言ではないでしょう。質問という形を取った迫害ってことで、これはイエスの時代のファリサイ派などから続いてきているものです。

どうですか。

どこからここまでの自信といいますか、太々しさが来るのでしょうか。

と言いますか、この人物は精神異常者ですよ。(笑)

まあ、明らかにこの人物こそ、聖書を捻じ曲げて解釈しているということです。

私は聖書を20回以上も読んでいるのですが、そのことも知らずに決めつけて書いています。

どこまで自分が正しいと思っているのでしょうか。

この人物は私の何を知っているというのでしょうか。

と言いますか、これが正しい、あれが正しい、という議論が聖書について起きる時点で、まともな書物ではないということが明らかです。

この回答に返信をしようとしたのですが、なぜか投稿できなくなっているので、これならブログで晒すしかないと考えたわけです。

実を言いますと、この人物が書いていることは、創価学会と同じことを言っているのです。

創価学会の掟として真偽のほどは定かではありませんが「創価学会のために行った犯罪は犯罪にならない」というおぞましいルールがあるそうです。

この人物が言っていることは、「キリスト教を否定する人間達に対しては何でも許される」かのような言い回しに感じませんか。

ちょっと気に入らないことがあれば、全ての人間を迫害者と認定するようです。

創価学会と言っていることが何ら変わりがありませんね。(笑)

これがまともな宗教だと思いますか。

もしも今でも私がクリスチャンであるならば、この人物のことは同じクリスチャンとして恥ずかしくて仕方なくなりますよ。

これはRAPT氏がおかしな信者を工作員認定するのと全く同じです。

私が回答者に対して、危害を加えようとしたとか、何かののしるようなことをした、とかならば理解も出来ますが、私が一体何をしたというのでしょうか。

しかも聖書には「怒りは神に委ねなさい」という教えもあり、この人物は自分にとって都合のいい聖書の箇所を持ち出して物を言っているということです。

とても心の清い人、心を清めようとしている人の文章ではないです。

クリスチャンとはまずは自分を清くしなければならないはずなのに、この人物からは清さが全く感じられず、むしろ悪人的な要素すら感じます。(笑)

アカウント非公開にしている時点で、私には怖気づいている奴にしか思えませんが。(笑)

自分が正しいと考えているならば、堂々とアカウントを公開して議論すればいいのに、と思います。

初手から逃げ腰と言わざるを得ません。

しかも「おつきあいするほど暇でない」と言いながら、しっかりと長文を書いているわけです。

自分が矛盾していることを行っていることに気付いていない時点でどうしようもありません。(笑)

やはり頭おかしいでしょう、この人。

暇がないならば、そして、私のことが気に入らないならば、回答しなければいいだけのことでしょう。

皆さんは嫌いな人に会った時に、攻撃しますか、それとも無視しますか。

普通の人は無視する方を選ぶでしょう。

攻撃しようと考えるのは犯罪者心理ですよ。

いやあ、改めてキリスト信者をやめて正解だったと感じたヤフー知恵袋でした。(笑)

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