キリスト教こそ本当の悪魔教だ!!その3                                         ~聖書の本当の作者はルシファーである~

今回は、久しぶりに聖書について書かせていただきます。

Kさんの仰せのように「新約聖書が作り話」といった話や、「聖書の神はルシファーである」といった話をキリスト信者が聞いた時に、ほぼ全員が「こいつらは何を言っているんだ」「こいつらこそ頭がおかしい」と思って、我々の主張を全否定することでしょう。

一般の人達の方が、Kさんや私の主張に納得できる要素を感じてくれるのではないでしょうか。

多くのキリスト信者は、聖書の教えに囚われており、考え方(思考回路)の柔軟性が欠如しています。

まさに、固定観念の塊のような人間が出来上がってしまうわけです。

今回は、旧約聖書の内容から、如何に聖書の登場人物らが義人どころか悪人であるのか、加えて、現実との不一致と矛盾を露呈しているのかを説明したいと思いますが、何故このようなおかしなことが起きているのかと言えば、何度も書いています通り、聖書の作者の正体がルシファーだからです。

Kさんのブログでも、新約聖書だけでなく旧約聖書も否定している部分がありますので、このブログでも参考にさせていただいております。

前提として、ある程度聖書に関する知識は必要でしょうが、可能な限り、聖書についてよく知らない人達にも理解できるように書きたいと思います。

早速ですが、現実との不一致を示すエピソードとして「創世記」から取り上げます。

義人の一人としてアブラハムという人物が登場しますが、その妻であるサラという女性は、年を取ったにもかかわらず、子供を授かっているのです。

分かり易く書けば、神の力を得て90歳くらいのおばあちゃんが子供を授かったのです。

キリスト信者にとっては「凄い!奇跡だ!」と思って感動するのでしょうが、一般の人達の多くは「何という馬鹿げた話だ、そんなことは有り得ない」と呆れ返るのではないでしょうか。

現実に、90歳のおばあちゃんが子供を授かったという出来事が起きたことがあるとでも思いますか。

それこそ、世の中をあっと驚かす一大ニュースとして取り上げられるでしょう。

「90歳のおばあちゃん」が言い過ぎだとしても、現実として、閉経後の女性の中で、子供を授かったという人が果たして一人でもいるのでしょうか。

閉経後の女性に子供を授かることが出来ない理由は、説明するまでもないでしょう。

実際に、サラという女性については、聖書の中で「月のものが無くなった」と表現されているのです。

これは閉経を意味しているわけです。

どう考えても、ふざけた話にしか聞こえないでしょう。

聖書では「神には何でもできる」と書かれてありますが、余りにも無茶苦茶な話でしょう。

仮に、子供を授けることが神業として可能だとしたら、現代において神の力が働いているとRAPTが言っているわけで、誰かが同じ経験をしないと嘘でしょう。

と言いますか、RAPTはナナさんと結婚しているわけで、RAPTこそ、この話を実現すべきでしょう。

つまりは、性交渉をしなくても子供を授かってもらい、この話を実証すべきだということです。

はっきり言いますが、絶対に不可能だと断言できますよ。

「創世記」は、聖書の一番最初に書かれている話なので、のっけから嘘を書いているわけです。

こんなふざけた書物はありませんよ。

まあ、私もRAPTに洗脳されていた時は、この話を事実と思って読んでいたわけですから、偉そうなことは言えませんが。

この話を嘘だと言えば、キリスト信者は絶対に反論することでしょうから、もっともらしい説明をして、相手を信じ込ませようとするはずです。

それこそ、聖霊という訳の分からない存在を出して説明することでしょう。

つまり、「サラという女性は聖霊によって子供を授かったのだ」と。

であれば「聖霊によって子供を授かって見せろ!!」と、RAPTやキリスト信者に訴えたくなります。

これ一つ取っても、聖書は悪質な本だと言えますし、RAPTやキリスト信者も悪質な人間だと言えますね。

現実世界の中で、絶対に100%起きない出来事が起きたように書いている聖書の話は、全て嘘だと断言していいでしょう。

聖書の掟の一つである「嘘を付いてはならない」が聞いて呆れますよ。

現実世界の中で、一つでも起きているならば、当然ながら私はそれを嘘だと断定はしません。

もしも、閉経後に自然と子供を授かった、あるいは、聖霊によって子供を授かった、という経験をお持ちの方がいるとするならば、コメント欄にて是非にも教えていただきたいものですが、それ以前にマスコミが騒ぐことでしょう。(笑)

年配の女性が子供を授かったりすれば、それこそ医者や看護師が奇跡だと言って騒ぎ出すでしょうから、あっという間に世間の脚光を浴びるはずです。

と言うより、聖霊によって子供を授かるならば、父親は必要ありませんし、もっと言えば、男自体必要なくなりますね。(笑)

私がこのブログで何度も書いていますように、現実世界(現代)で実現できた前例が一つも無い聖書の話については、全てがインチキであり嘘だと断言します。

RAPTという神の人が存在しているのであれば尚更でしょう。

「神には何でもできる」と書かれてありますが、「人間を不幸にするためならば神には何でもできる」というのが本当の意味であり、「人間を幸福にするために神には何一つ出来はしない」と言って良いでしょうし、このことはRAPT自身が証明済みです。

次に、キリスト信者が悪事を働いたエピソードとして「ヨシュア記」を挙げたいと思いますが、この内容は主に戦争が描かれています。

あれれれれ?????、戦争ってキリスト教上では悪であり罪なのではないでしょうか。

「ヨシュア記」とは、簡単に説明しますと、神が積極的に戦争を促している話です。

神がイスラエル民族(今で言うキリスト信者集団)に与えると約束した領地を武力行使で奪い取れ、という神の指令なのです。

このやり方、RAPTが言う悪魔崇拝者の常套手段ですよね。

神の指令としては、絶対に有ってはならないことでしょう。

明らかに神が戦争を誘発している話、もっと言いますと、キリスト信者に対して悪を働け、罪を犯せ、と言っている話なのです。

ここにも矛盾が生じているわけですが、矛盾を通り越して非常識この上無いですよ。

しかも、奪い取る領地に住んでいる人々全員が、どれほどの悪事を働いていたのか、その具体的な記述は一切ありませんから、ある意味では、神の指令は理不尽とも言えるわけです。

戦争においては、平気で殺人が実行され、罪無き女性や子供たちが犠牲となるケースがしばしばです。

モーセの十戒では「人を殺してはならない」と書かれてあるのに、キリスト信者が戦争を行うとはこれ如何に?という感じでしょう。

そもそも聖書は、殺人よりも偶像崇拝の方が重いとされていますが、これだけでも非常識極まりないと言えます。

偶像崇拝とは、聖書の神以外の神を拝む行為のことを言いますが、これが殺人よりも重い罪なんだそうです。(笑)

キリスト信者が非常識な人間になるのも道理ですよね。

RAPTは「聖書は時代背景も考えて読まなければならない」、つまりは、「ヨシュア記の時代は戦争をしないと生き残れないような時代だった」と言いたいのでしょうが、RAPTをはじめとするキリスト信者は、その主張自体がキリスト信者として有り得ないと言うことが理解できないわけです。

戦争を行うこと自体に時代背景なんて関係ないでしょう。

実際に、平和となっている現代においても、日本においては戦争が起きていないだけであり、戦争に関する議論は常に為されていますし、中東では常に戦争している雰囲気ですね。

もっと言えば、神の力が働いていながら、戦争をしなくても良い時代背景に出来ないこと自体、理解不能なわけです。

と言いますか、善良で愛ある神が戦争を誘発すること自体が許されることではありません。

仮に、奪い取る領地の人間達が悪事を働いていたとしても、神が直接裁きで懲らしめるべきことなはずであり、それを人間に実行させるなんて、何と根性の悪い神なんだ、と思いたくなります。

実際に、旧約聖書では神の裁きによって直接命を奪われたような人達も数多く紹介されていますから、悪人達を殺したり倒したりするのに、人間の力は必要ないと聖書自ら言っている様なものなのです。

それでありながら、人間に戦争を実行させるなんて、常識的に考えられません。

とてもじゃないですが、善良で愛ある神のやることではありません。

このように、奪い取る領地の人間達が悪であろうとなかろうと、反論の余地や非常識だと感じることが多々生じるわけです。

たとえ時代背景がそうであろうとも、自分たちが生き残るためならば、相手を殺しても構わないなんて考え方は、創価学会の「創価のために起こした犯罪は犯罪にならない」という考え方と全く同じです。

どうしてキリスト教が、創価学会などの悪魔教(RAPTが言っているだけですが)と通じる部分が出て来るのでしょうか。

もうお分かりですよね。

キリスト信者は間違いなく次のように反論することでしょう。

「ヨシュア記に書かれている戦争は、正当防衛の範疇だ」と。

そうであるならば、先ほども書きましたが、奪い取る領地に住んでいる人間達が、どのような悪事を働いて、キリスト信者集団をどのような目に遭わせていたのか、具体的に沢山描かれていないと、そもそもが正当防衛という主張に確信が持てないでしょう。

正当防衛の意味を理解できていますか、キリスト信者らは。

正当防衛は、一歩吐き違えれば犯罪と等しくなるわけで、正当防衛である根拠を余すことなく記載していないと駄目でしょう。

ただ単に「悪事を働いていた」というだけでは、どれほどの凶悪犯罪を実行していたのか全然分からない上に、それでいて正当防衛と言うならば、この世の中何でも有りになり、犯罪が犯罪で無くなりますよ。

上の反論を正しいと仮定して考えると、「ヨシュア記」に書かれてある話は、ある意味では、キリスト信者集団を名乗った凶悪犯罪組織が、自分たちを正当化するために正当防衛を主張したような話になってしまいますよ。

とんでもない非常識な話だということが理解できるでしょう。

現代においても、今現在、戦争の機運が高まりつつあるのですが、2023年から神の完全統治が成されている(=地上天国)はずなのに、起きている現象は真逆なわけです。

神の完全統治(=地上天国)になるとどうなるのかと言いますと、簡単に言えば、人間達が争い合うことの無い、平和で幸福に生きていける世の中、のはずなのです。

完全に真逆でしょう。(笑)

私が説明した神の完全統治(=地上天国)の本当の意味が、現代の情勢を見ても理解できるでしょう。

ましてや、旧約聖書の時代は、神が直接人間と会話までして、現代以上に神の力が働いている時代なのに、戦争による解決を目指すなんて有り得ないでしょう。

このように、サラという女性の話も、ヨシュア記の話も、神による悪意が隠されているのです。

まあ、私からすれば隠されているどころか露わになっているとしか言いようがありません。

最後に、キリスト教では1位2位を争うほどに悪とされている姦淫についてですが、呆れたことに旧約聖書では全体的に、姦淫が推奨されているのです。

登場する義人たちのほとんどが、一夫多妻制かと思わせる様な話ばかりが描かれているのです。

ちなみに「姦淫」とは、性に関わる不道徳な事、とネット上では説明されてありますが、一夫多妻制が道徳的と思えますか。

「モーセ五書」然り、「士師記」然り、「サムエル記」然り、「列王記」然り、です。

まともな話は、せいぜい「ルツ記」と「エステル記」(どちらも主人公は女性)くらいなものでしょうが、やはり一夫多妻制のようなことには触れられているのです。

もはや終わっているでしょう。

「一夫多妻制」と表現すれば、多少は聞こえが良くなるのかもしれませんが、私に言わせれば「不倫」と何が違うのか、ということです。

広義的に言えば、旧約聖書は不倫を推奨している話だとも言えなくないわけです。

有り得ないでしょう。

誤解の無いように願いますが、私は世の中の人達が姦淫を行うことを批判しているわけでは無く、義人(キリスト信者)が姦淫に触れている話を全批判しているのです。

せめて義人ならば、一夫一妻制の元、生活をしないと駄目でしょう。

聖書だけは、義人が生涯、一人の異性と結ばれている話にしないと駄目でしょう。

子孫を残すために、別の女性とも結婚するなんて、義人として暴挙も甚だしいですよ。

以前の記事にも書きましたが、ダビデは略奪愛のため、相手の旦那を殺すという、到底義人とは思えない犯罪を犯しているわけです。

キリスト信者の皆さん、あなたがたは、男性にとって子孫を残すためならば、何人もの女性と結婚してもいい、通じてもいい、という考え方なのですか。

それこそ暴論ですよね。

旧約聖書の時代は、体外受精という技術が無かったから止むを得なかった、とでも反論する気ですか。(笑)

先ほど説明した、サラという女性の話が本当だとするならば、神が一人の女性に子供を何人も授けることなんて、それこそ朝飯前でしょう。

つまり、一夫多妻制にする必要なんて全く無いですよね。

そもそも、子宝に恵まれないということ自体、神の力が有りながら有り得ないでしょう。

このような単純な理屈も理解できずにいながら、偉そうに聖書を語るのがキリスト信者なわけです。

RAPTはその筆頭格です。

姦淫を罪と称しながら、旧約聖書では姦淫の数々、開いた口が塞がらないですよ。

ダビデのことについて、少々触れておきたいと思いますが、この人間は、略奪愛のために殺人を犯しただけに留まらず、略奪愛によって娶った女性の子供を後継者に任命するという、義人として常識では考えられない決断を行っているのです。

これ、RAPTが言う悪魔崇拝者がやるような話ですよ。

こんな人間が神に最も愛された人間として聖書は紹介しているわけで、義人として甚だ非常識でしょう。

その子供はソロモンというのですが、後継者になっただけではなく、何と、神によって無条件で祝福されるという、これ以上の理不尽は無いと言える神のやり方なのです。

略奪愛によって生まれた子供が、後継者になり神に無条件で祝福されるなんて、どう考えても非常識でしょう。

RAPTが言う悪魔崇拝者も、自分が最も愛した愛人の子供を溺愛するケースも多いですが、なんと神が同じようなことをやっている話に呆れるしかありません。

後継者というのは通常、長男が受け継ぐものであり、長男が不在の場合は次男が、次男が不在の場合は三男が、というような秩序のもとで成されるべきことなのに、ソロモンの場合はダビデの十数番目の子供であり、従って後継者争いが勃発する始末となっているのです。

人間が争い合う構図を神自ら作り出しているわけで、ルシファーによる目的の一つが成されている事例です。

そしてソロモンは、後継者候補の一人であったアドニヤというダビデの四男を殺しています。

私の記憶違いで、四男では無かったとしても、そこが問題では無く、ソロモンには何人も兄がいた、つまり、後継者として相応の人物がいた、というのが問題なのですよ、キリスト信者の皆さん。

どう考えてもソロモンは悪人ですよ。

いや、ソロモンだけでなく、ダビデも、アブラハムも、イスラエル(アブラハムの孫で後述します)も、モーセも、みんな悪人ですよ。

そして例外なく、ソロモンには何十人と妻がいたわけです。

このように、血みどろでドロドロな人間関係が描かれているのが旧約聖書なんですよ。

旧約聖書がドロドロなことについては、実はRAPTも過去の音声配信で発言しているわけですから、自爆だと笑うしかないでしょう。(笑)

どう考えても、善良で愛ある神の成していることとは思えません。

更には、旧約聖書の「創世記」にイスラエルというアブラハムの孫が登場しますが、彼には12人の子供が産まれていますが、4人も妻がいるという設定になっています。

そもそも、12人も必要ないだろう、と思うのは私だけでしょうか。

これまた時代背景のことを主張するのでしょうが、つまり、「当時は子供の数が多いことがステータス」みたいな話をRAPTがしていた記憶がありますが、どうしても12人必要ならば、一人の女性に授ければ済むことだと思いませんか。

神の力が有るならば、一人の女性が何十人と子供を授かることぐらい平気でしょう。

だって、おばあちゃんが子供を授かるくらいですよ。

考えれば考えるほど、非常識な事ばかりなのが旧約聖書の話なのです。

どうして、このような理不尽だったり常識では考えられないような話が聖書では書かれてあるのでしょうか。

実際にRAPTも、「聖書は読めば読むほど訳が分からなくなった」と過去の自分を振り返っていますが、どうして聖書の読者がそのような混乱状態に陥ってしまうのでしょうか。

人間に混乱を与えるというルシファーの目的の一つが、しっかりと起きていますから、その理由はもうお分かりですね。

聖書のことを理解しようと努めた時、善良で愛ある神が人間に書かせた書物だと考えるから理解不能となるわけで、悪意に満ちた悪魔のような神が人間に書かせた書物だと考えた時に、全ての疑問や理解不能が解けていくわけです。

今の私は、聖書の不可解な部分を簡単に説明できますよ。(笑)

聖書とは、本当の悪魔であるルシファーが人間に書かせた書物であり、従って、矛盾や理不尽、非常識で満載となっているのも道理というわけです。

聖書に登場する人間達は、義人どころか悪人であり、例えばモーセも、相当な数の人間を、神に反逆したと難癖を付けて殺しています。

人間に人間を殺す権限が有ること自体、キリスト教が危険であることを物語っている典型です。

真の善人は、たとえ神が殺せと命じても絶対に実行できません。

まあ、そもそも、神が相手を殺せと命じる時点で終わっています。(笑)

このように、登場する義人たちのほとんどが、自ら聖書の掟に反することばかりやっているだけでなく、あろうことか、神自ら聖書の掟に反することを人間達にやらせているわけで、どう考えても聖書は悪なる書物だとしか考えられませんし、聖書の神も登場する人物達も悪人としか考えられません。

過去の記事にも書きましたが、RAPTの聖書解釈は全部間違っているということです。

従いまして、RAPTがやっている有料記事の最初の方で解説している聖書の説明は、有料にしてはならないということです。

そればかりか、全ての朝の祈り会の音声配信、並びに全ての有料記事を有料としてはなりません。

そもそもがRAPTが信じ込まされている神の前提が間違っているわけですから、お金を貰って嘘を教えていることになり、これこそ悪質だということです。

朝の祈り会の配信の全てがルシファーからの啓示ですから、お金を貰うこと自体が犯罪なのです。

知らなければ許される、という問題ではありません。

少々話が反れましたが、聖書なんて読む必要性も価値も全くありませんし、教育上も良くありません。

それどころか、私に言わせれば、聖書なんてアダルトビデオやアダルト本と同等だと言っておきます。

従いまして、子供たちには絶対に読ませてはいけません。

大人でさえも、聖書のせいで正常な善悪の判断が出来なくなるわけですから。

このような書物を経典としているキリスト教こそ、本当の悪魔教だと主張する私の意見がご理解いただけたのではないでしょうか。

敢えて「悪」を定義するならば、自分の行いの結果が他人に迷惑(不利益)を及ぼすこと、だと言えます。

その定義から言っても、聖書は悪でありRAPTは悪である、という結論に至るしかありません。

聖書が悪ということは、聖書の神が悪なる神だということです。

「お前もRAPTに迷惑を及ぼしているから悪人だ」と反論するRAPT信者へ。

私が悪人呼ばわりされるのは何ともありません(でなければこのようなブログなんか公開できません)が、RAPTこそ本物の悪魔崇拝者であり悪人であるので、他人に迷惑を及ぼしている当事者が迷惑だと主張すること自体、有り得ないことだと理解できますか?

分かり易く言うならば、詐欺師が「あいつ(私)は俺たち(RAPT)が詐欺を働けないように妨害している迷惑な奴だ」と主張することにあなたがたは同意する、つまり、詐欺師の味方ということでいいんですね?

そもそもが現在のRAPTは、私のことなど迷惑だとは思っていませんし、私のブログの存在自体、知らない可能性も高い(これも有り得ないのですが)でしょうし、彼が本当に正義であるならば、私のブログのことを直ちに認識して行動を起こすことでしょう。

何せ私は、RAPTが崇拝する神を悪魔呼ばわりして公開しているわけですから、RAPTの立場からすれば絶対に許せないことなはずであるにも関わらず、RAPTは元よりRAPTの神まで、知らない状態やダンマリ状態、無視状態こそ、逆に考えられないわけですが、その理由は、Kさんや私の主張こそが真実である可能性が極めて高いからです。

Kさんが仰るには、ルシファーは地球上でやりたい放題出来る代わりに、人間達に真実を伝えなければならない運命(さだめ)の様です。

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