「捨てる」とは?「滅亡する(滅びる)」とは?

今回は、RAPT氏の御言葉の中での表現が、如何におかしな点があるか、というお話になります。

RAPT氏は御言葉の中で頻繁に「世の中の物を捨てる」ことの重要性を説いています。

更に、同じように頻繁に「サタン、イルミナティが滅亡する」と説いています。

皆さんに質問ですが、「捨てる」と「滅亡する」という言葉の意味をご存じですか?

馬鹿にするな!!と叱られそうですが、RAPT氏によるとこの言葉の意味が少々違うようなのです。

まず、国語辞典で調べてみましょう。

「捨てる」                                                    ①不要のものとして、手元から放す。                                    ②今までの関係を断って、そのままかまわないでおく。見捨てる。                               ③関りのないものとして、ほうっておく。                                             ④持ち続けてきた思いなどをなくす。                                          ⑤俗世間を離れる。

RAPT氏は「捨てる」の意味を以下のように言っていたことがありました。

「捨てる」とは、何も関係を断つということだけでなく、一番にしない、依存しない、ということも「捨てる」ということだ、と。

私はこの言葉を聞いた時、強烈な違和感を覚えましたし、この人は何を言っているんだろう、と首を傾げました。

まさに詭弁です。

「詭弁」とは、間違った内容・意見を正しく見せかけたり、自分の意見に言いくるめようとしたりする話し方のことを指します。

RAPT氏は「身内や恋人、友人などの人間関係を捨てなさい」とよく言いますが、これは一般的には「身内や恋人、友人などの人間関係を断ちなさい」と言われたことに等しいと誰であれ考えるはずです。

それなのにRAPT氏は、別に関係を断つ必要は無い、と言うのですから、だったら最初からそう言うべきであると思いませんか。

あまりにも身勝手過ぎる発言です。

実際に私はこの言葉の通り、多くの人間関係を捨ててきた=断ち切って来たわけですから。

誤解を生じる様な表現は、むしろ悪でしょう。

「捨てる」の意味を見てもらえば分かる通り、「第一にしない、依存しない」と言う意味は一切書かれていません。

それもそのはず、日本人であれば「捨てる=手放す」です。

例えば、「ゴミを捨てる」ことを「ごみを保管しておいてその存在を無視していれば捨てたと言える」と考える人間が果たしているのでしょうか。(笑)

分かり易く例えるならばこういうことです。

次に「滅亡する」「滅びる」とはどういう意味でしょうか。

これも国語辞典を見てみましょう。

①なくなる。                                                     ②すたれる。(衰退)                                                ③死ぬ。

RAPT氏は、滅びるとは何もなくなることだけを言うのではなく、活動できなくなることもまた滅びることになる、と言ったのです。

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もはや詭弁の上塗りですよ。

私は日本史が大好きですが、「鎌倉幕府が滅亡した」というのは「鎌倉幕府がなくなった」ということであり、「鎌倉幕府が活動できなくなった」と捉えたことなど一度もありません。

まあ、衰退する=活動できなくなる、と言えなくもありませんが、普通の人であれば「滅びる=なくなる、いなくなる」ではないでしょうか。

仮に一旦活動できなくなっても、その存在自体がある以上は、何かの拍子で復活する、繁栄する可能性があります。

「その存在がある」のに「滅びた」とは誰も思いません。

またRAPT氏は「祈りによってサタン、イルミナティを滅ぼしなさい」と言っていたのに、「サタンは永遠に存在する」とか「悪人もいなくなることはない」とか、支離滅裂なことを言っているわけです。

滅びることが無い存在に対して滅びるように祈ることなどナンセンスでしょうし、意味不明としか言いようがありません。

強いて言うならば「祈りによってサタンとイルミナティが活動できなくなるようにしなさい」と言うべきではないでしょうか。

あまりにも身勝手過ぎる発言でしょう。

到底、全知全能の神から発せられた言葉とは思えません。

このように、言葉一つとっても詭弁にしか捉えられないことを平気で発言しているのがRAPT氏なわけです。

さすがに、これらの言い回しは許されることではないでしょう。

きちんと、その言葉の真意を最初から伝えてくれないと誤解する信者ばかりになってしまいます。

「捨てる」とか「滅びる」と言う言葉を使うのではなく、「依存しない」とか「活動できなくなる」という言葉を使うべきでしょう。

誤解を招く言葉を使っている時点で、愛どころか悪意さえ感じます。

日本語は難しい、というレベルの話ではありません。

単に人を惑わしているに過ぎません。

更にRAPT氏は、サタンが永遠に存在したとしても自分が常にサタンに勝利していれば、サタンがいようとも関係ない、というような発言もしていましたが、もはや何とでも言い様がある発言になってしまっているということです。

はっきり言いまして、サタンや悪人に関する発言は、支離滅裂と言っていいレベルです。

果たして、このような人が神の人だと言えるのでしょうか。

神の人が多くの人達が誤解するような発言をして許されるのでしょうか。

愛のある人が発する言葉なのでしょうか。

最後に、話は変わりますが、RAPT氏が言うには現在は成約時代(神との約束が成される新しい時代)に突入しているそうですが、RAPT氏らはなぜか新約時代のやり方に拘っているという矛盾があるのです。

すなわち、十二弟子の選考と育成です。

十二弟子とは、新約時代にイエスによって任命された12人の弟子たちのことですが、成約時代という新しい時代の到来に、どうして古い時代のものを踏襲しているのでしょうか。

しかもRAPT氏は御言葉の中で、常に新しく生まれ変わらなければならない新しいことに取り組んで行かなければならない古いものを捨てて行かなければならない、などと言っているのです。

それなのに、2000年前のことを現代でも遮二無二やろうとしていることに違和感を覚えずにはいられません。

新しい使徒の形を作ればいいのに、全知全能の神にはその構想すらRAPT氏に与えられないのでしょうか。

RAPT氏の神は新しいものを好むと常々言っていたはずなのに、この矛盾をどう説明するのでしょうか。

このように、ちょっと考えればおかしな点はいくらでも見出せる、ということが、これ以上信仰を持ち続ける意味が無いと私が決断した根拠の一つです。

私は信仰を捨てて10日ほど立ちますが(2024年6月14日現在)、むしろ、解放感に包まれて毎日が楽しい位です。

久しぶりに飲んだビールや日本酒は滅茶苦茶美味しいですし、久しぶりに行ったパチンコ屋ではそれなりに儲けさせてもらっていますし、好きなプロ野球にも関心を大いに向けられていますし、仕事も現時点では順調です。

そう言えば久しぶりにコーラも飲みましたが、美味しかったです。(笑)

タバコも1本貰ったやつを吸いましたが、流石にタバコは私の体には合わないようです。(笑)

いやあ、私は世の楽しみを損していたんだと改めて感じました。

そう言えば最近、私の身近で酒やタバコを一切たしなむことの無い人が癌と診断されていました。

癌という病気も、やはり存在するのではないかとさえ思えてきました。

これもRAPT氏の発言や聖書の言葉とは違った現象が起きていると言えるでしょう。

信仰を捨てた私にはサタンの猛攻撃があるはずなのですが、実は全くサタンを感じません。(笑)

嫌なことが起きないからサタンを感じない、というわけではなく、サタンに意識が取られることが全く無い、ということです。

これから起きるんだ、と言われそうですが。(笑)

もしかしたら、サタンの存在自体、嘘かもしれません。

サタンの存在が嘘だとしたら、霊界に関する話や霊の話のほとんどが嘘となってしまう=RAPT氏の言っていることが嘘、そもそも神さえも存在するのか、となるでしょうが、さあ果たしてどうなんでしょうか。

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