RAPT氏の言葉に真理はありません。その3                                                         ~この世のものを捨てるなんて、絶対にいけません~

今後は、RAPT氏に対して「氏」を付けることさえ堪えられませんので、敬称略とさせていただきます。

加えて、今後は読み手が疲れないように、なるべく短くまとめるようにし、話題を一つ一つ提供していきたいと思います。

私がRAPTとの決別を決意して記事を書き始めてからというもの、以前と比較して明らかに1日のブログ来場者数が増えました。

私は何も数千、数万を狙って記事を書いているのではなく、せいぜい100~200人くらいのRAPT信者に向けて書いているつもりなので、数の問題などどうでもよいのですが、明らかにRAPTやRAPT理論に関する反論記事を書き出した途端、来場者数が増えたのは確かな事実です。

さて、見出しにありますように結論から先に申し上げます。

現在まで培ってきた人間関係は、何を差し置いても一番大切にし、害を及ぼし合う関係性でない限り、絶対に切ってはなりません。

これこそが我々人間に対する本当の真理であり、この言葉にこそ安心感がありませんか。

真理とは、誰が聞いても反論の余地が1ミリたりとも生じない価値観のことです。

太字の言葉を聞いて、気分を害する人間や反論する人間が果たしているのでしょうか。

あっ!いた!RAPTだあ。(みのもんた風)

人間関係とは、家族、友人、恋人、職場の先輩後輩(同僚)、ご近所さん、などといった関係になりますが、これらを捨てて幸福になるなんて、とんでもない暴論でしょう。

つまり、RAPTの伝える「世の中のものを捨てる」というのは非真理だということです。

私はRAPTに洗脳されたことにより、人間として最も大切なことが欠落してしまっていたことに、改めてようやく気付きました。

慙愧の念に堪えません。

竹内マリアの「天使のため息」という曲の歌詞の中に、「人は何故皆 失って 初めて気付くの」という歌詞がありますが、本当にその通りなわけです。

約25年前の曲ですが、私は今でも飽きることなく聞いていますし、RAPTの曲なんかより、何十倍も何百倍も感動します。

私の人生を振り返ってみても、周りの沢山の人達の助けや支えがあってこそ、ここまで生きて来られたはずなのに、その意識がRAPTによって吹っ飛ばされていました。

この約5年間の私は、何という恩知らずな人間だったことでしょう。

2025年6月29日のRAPTの祈り会での発言で、「今回、使命者として選ばれた人が、世のものに対する執着心を取ることが出来なかったために使命を外されました。」とありました。

RAPTには本当に神の歴史を成す気はあるのだろうかと私は呆れてしまいました。(笑)

あっ、あらかじめ言っておきますが、私は2025年6月まではRAPTの有料記事を購入していましたので、どういった発言を繰り返すのか折角なので最後まで聞いているということであり、7月以降は購入しませんので何をRAPTが語っているかは紹介できません。

正直なところ、今となってはRAPTの声そのものに不快感を覚え、聞いているだけで不愉快になって来て腹が立ち、加えて彼がどれだけいい加減な話をしているかを伝えるために、敢えて我慢して聞いています。(笑)

発言中の彼は、毎日のように怒っているようにしか聞こえず、頭でっかちの頑固おやじそのもの化しています。(笑)

これが愛ある神の人だって。💧

使命を外された使命者の方は、むしろ大いに喜ぶべきです。

聖書を引用して言うならば、「RAPTに迫害された人達は幸いである」と言えるでしょう。

RAPTに近づくのは、それこそ絶望と地獄の日々が待っているわけですから、使命を外された使命者の方は精神異常者の仲間入りをせずに済んだと言えます。

RAPTに認められた使命者の方々、ご冥福を、あっ間違った、ご愁傷さまです。

使命を外された使命者の方に私から一言、「あなた様がRAPTから捨てるよう指示された世の中の執着を絶対に捨ててはなりません」                                                      ※執着の内容がどうであれ一切関係ありません。

あなた様が楽しいと思うことを存分に行った方が、はるかに幸福度が増しますよ。

人それぞれ、一番大切に思う人間関係の順番は違うでしょう。

家族が一番という人もいれば、友人が一番という人もいれば、恋人が一番という人もいれば、仕事が一番という人もいるでしょう。

その人の置かれた環境や状況によって、一番にする関係も変動することでしょうから、どれが正しいとは一概には言えませんが、いずれにせよ「人間を大切にしなさい」ということに変わりはありません。

もしも「俺は一人でも生きていける」という人がいれば、それこそ傲慢な人であり、人間は絶対に一人では生きていけません。

例えば、食事をするにもコンビニやスーパーで買うでしょうし、飲食店で食べることもあるでしょう。

この時点で「一人で生きていない」証拠になります。

私はこのこと、つまり、コンビやスーパー、衣料店や住居などなど、間接的に自分を支えてくれている存在だと考えています。

だからこそ、接客を行っている人達に対して、私は必ず笑顔で「ありがとうございます」と言うように心掛けているのです。

傍にいる人達は直接的に自分と関わり支えてくれますし、自分を取り巻く環境全てが間接的に自分を支えてくれているのです。

そのことに対する感謝も忘れて「この世のものを捨てろ、この世のものに執着するな、この世のものを第一にするな、この世のものに依存するな」という、まさに悪魔のような言葉を発する人間がいるのです。

そうです、RAPTです。

彼は耳にタコが出来るほど、その発言を繰り返すわけですが、私は彼に問いただします。

「そう言うあなたこそが最も、この世のものに依存している!!」と。

以下に列挙する私の指摘に対して、是非にもRAPTに納得のいく答えを求めます。

①世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうしてユーチューブに拘って動画や賛美歌を作るのですか。                                                                ※何度でも言いますが、ユーチューブを悪と断定したのはRAPT本人です。

②世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうして音声配信にサウンドクラウドというアプリを使うのですか。

③世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうして写真集を作るのにカメラを使うのですか。

④世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうして世の中の話ばかりするのですか。                    ※イルミナティがどうのこうの、工作員がどうのこうの、言論弾圧がどうのこうの、全て世の中にあるものです。

⑤世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうして音声配信の例え話に世の中を持ち出すのですか。                                                            ※大企業で例えたりするのがお好きなようですが、大企業を悪と断定したのもRAPT本人です。

⑥世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どのように食事をしているのですか。

⑦世の中のものに執着するなと言うRAPTは、一体どこに住んでいるのですか。

⑧世の中のものに執着するなと言うRAPTは、一体何を着用して暮らしているのですか。

⑨世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうして大企業が作った自動車を使っているのですか。

⑩世の中のものに執着するなと言うRAPTは、どうしてスマホやタブレットなどに拘って情報発信するのですか。

挙げれば切りがありませんので、この辺りでやめておきましょう。

私の指摘していることが屁理屈、重箱の隅突き、揚げ足取り、極論、暴論だと感じますか。

私がRAPTに伝えたいことは、「あなただってこの世のものが無ければ生きていけないし、今の活動すら出来ないじゃないか」ということです。

RAPTに言わせれば「そういう話をしているのではない」と反論するのでしょうが、更に私が言いたいのは、この10個(本当はまだまだあります)の指摘に対して、RAPTが自分で全て開発すればいいじゃないか、ということです。

ユーチューブに代わる動画サイト、サウンドクラウドに変わる音声アプリ、写真を撮るカメラ、スマホやタブレット、自動車など、この世のものに頼らず、自分自身で開発して使えばいいだけの話でしょう。

全知全能の神に頼っている人間が、上級国民が作っているこれらのものを同じように独自に開発出来ないのは何故でしょうか。

加えて、世の中の創造物は全て神が作ったというのがRAPTの理論であれば、どうして神は現在あるものに取って代わる新しいものをRAPTに作らせることが出来ないのでしょうか。

RAPTが言う悪人ばかりがいるこのような地球で活動するのではなく、義人たちが住む集まる新しい地球以外の世界を作り、そこから活動を始めては如何ですか。

これを成して初めて、RAPTが言う「世の中のものを捨てろ」という発言に整合性が取れるわけです。

誰一人として文句を言う人はいないでしょうから、その言葉(世を捨てる)が真理となるのです。

悪人から義人を救いたければ、まずは悪人から遠ざけてあげること、これが筋であり愛でしょう。

そのような力や構想をRAPTに与えることすら出来ない神が全知全能なんて笑わせるな、と世間から言われてしまいます。

そうです、RAPTの神がKさんの言う通り、悪そのものだと考えれば、現在のRAPTの言動や状況には一貫性があり納得いくものが生じるわけです。

申し訳ないですが、RAPTに比べれば暴力団すら善人に見えますよ。

暴力団の人間でさえ仲間を大切にするというのに。

要するに、RAPTは無意識であれ、人々を惑わし騙す発言を平気で繰り返しているわけです。

自分自身が世に執着し依存しているにもかかわらず、信者には全て捨てろなどと、これが暴挙でなくて何だと言うのです?

これが愛のある人の言う言葉ですか?

「人間関係を大切にしなさい」と説いてくれる人こそ、愛を感じませんか。

だいたい、良いことが起きたとしても、神の力が働いたかどうかなんて、どこまでも主観でしか捉えることができません。

そこに客観性は微塵もありません。

目に見えないからです。

一方で、人からしてもらったことはその人がしてくれたこと、あるいは、その人を使って別の人がしてくれたこと、として必ず認識できます。

目に見えているからです。

私はRAPT信者に対して、今一度人間的な視点に立って冷静に客観的に物事を捉える意識を取り戻してもらいたいのです。

客観的に見ても「RAPTこそ正しい」と洗脳が解けないのであれば、あなたの人生は間違いなく崩壊に向かうことでしょう。

誰からも相手にされなくなるからです。

何度も言いますが、人間同士大切にし合ってこそ、お互いから喜びや幸福を得ることが出来るのです。

それこそが真理です。

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