先日、サタンをほとんど感じない1日を過ごすことが出来ました。

神様の証

これは先日、棟上げの建築工事現場で従事した際に感じた出来事になります。

私は交通誘導警備員として従事していますので、それを前提に記事を読んでいただけると有難いです。

1年ほど前から、北九州市の工事現場で従事する機会が増えました。

北九州市と言いますと、昔は八幡製鉄所やスペースワールドなど、沢山の人達が仕事や観光などで集まり大変賑わった地域であり、10年くらい前までは活気に溢れていたように感じていました。

ところが、信仰を持って3年が経過した私にとっては、最近の北九州市は廃れたとしか思えないほどに、波長や空気感を悪く感じるようになりました。

実際にスペースワールドも潰れましたし、八幡製鉄所の跡地なのか分かりませんが、港のある海沿い地域は特に波長が悪いのです。

そのサタン的な波長が強い場所に今回の工事現場がありました。

現場視察に訪れた時に、物凄く寂しい雰囲気を感じたのです。

この場所では私は従事しない方がいいのではないか、と感じたほどでした。

実を言いますと、北九州方面の現場においては、私自身、福岡市周辺の現場では経験しなかったような出来事を何度か経験したのですが、そのせいもあってか、北九州方面の現場は私のために神様が用意されたのではないか、とさえ感じているのです。

実際に、我社の従業員達も、積極的に北九州方面の現場で従事しようとする感じは無く、むしろ、北九州方面で仕事ならば休みでも構わない、といった感じさえ伝わってくるほどなので私が従事しているというのもあります。

そして実際に、北九州方面の現場では良い出来事の方が圧倒的に起きていますし、嫌なことが起きたとしても、ほとんど尾を引くことがありません。

福岡市周辺の現場では、嫌なことが起きると後々影響しそうな感じを受けることも起きるのですが、北九州方面の現場では、あまりそういうことが起きません。

分かり易く(?)表現すると、北九州方面の方が地域的に明らかにサタン的な波長が強いのに、工事現場では何故か福岡市周辺の現場の方がサタン的な波長を強く感じてしまう、ということです。

ところが、今回の現場は2回要請された(17日と22日)のですが、1回目は物凄くサタンを感じたところから始まりました。

まず、当然ながら地域の波長が非常に悪く、物凄く寂しくなってくるような雰囲気だったのです。

現場に到着すると、やはり、大工さん達からも変な波長、即ち、物凄い距離感のようなものを受けたのです。

私に対して何かしてきたということではなく、馴染みの大工さん達ではなかったためにそのように感じたのかなと思っていました。

ただ私の経験上、たとえ馴染みの無い人達であっても、距離感を感じない人達も沢山います。

しかしながらその日は、大工さん達だけでなく、行き交う通行人や住民の方々さえも挨拶してくれる人がほとんどいないくらい、全体的に何か暗い感じを受けました。

闇を感じたと言っても過言ではありません。

「何なんだ今日は。」と心の中で思った程でした。

流石にその日は「現場で従事したことは間違いだったかな。」と思い、後悔の念に晒されました。

実際にその日の午前中は、大工さん達も全く私に話しかけてくることも無く、正直なところ、仲間外れ感を抱きながら従事していましたし、しかも、関係ないかもしれませんが、頭痛まで起きてくる始末でした。

流石の私でさえも「今日は帰りたい。」と思いました。

私は工事現場で従事した際に、そこまで思うことは滅多にありません。

ある意味、それほどまでにサタン的な波長が強かったのだと思います。

ところが、昼休憩の後に現場に行くと、不思議なもので雰囲気的なものが午前中とは全く違う感じがしました。

気のせいかとも思いましたが、大工さん達からも声を掛けられることも増え、明らかに午前中とは空気感が変わっていました。

「それはお前が単に仲間外れにされた感に陥って、拗ねていただけだろう。」と言われそうですが、本当にそうではなく、午前中と午後とで現場の波長が変わったのを感じたのです。

過去の経験においても、我々交通誘導警備員は、どちらかと言いますと工事現場(特に今回のような建築現場)においては、仲間外れ感を覚えることも少なくないのですが、だからと言ってその場に居ることが苦痛だと感じることはほとんどありませんので、今回が如何に異様な雰囲気だったかが分かります。

午前中は大工さん達やクレーンのオペさんにも近づきにくい感じがあったのですが、午後からはそのような感じがほとんど無く、私の方からも大工さんやオペさんに声掛けし易い空気感になっていたのです。

薬を飲んだので頭痛も治まりましたし、午後は比較的気持ちよく仕事が出来たのです。

実際に、午前中に現場に来た搬入車両も、4台中3台は馴染みのない運転手が来ましたが、午後に来た1台は馴染みのある運転手の方でしたし、屋根の作業を行う作業員の方(16時過ぎに到着)も馴染みのある方でした。

ただ、その日の午前中の波長の悪さが物凄く印象として残ってしまい、2回目も少々憂鬱な気持ちであったことは確かです。

そして、ここからがタイトルにあるように本題となります。

前置きが長くて申し訳ありませんでした。

憂鬱な気持ちで臨んだ2回目でしたが、何と、全く雰囲気が違ったのです。

つまり、サタン的な雰囲気を一切感じなかったのです。

1回目の時は、朝からあれほどに強烈にサタン的な雰囲気を感じたにもかかわらずです。

正直なところ、大工さん達が馴染みのある人たちだったので、そのせいだろうと思っていました。

ところが1回目と違って、行き交う通行人の人々が次々と私と目を合わせてくれて「おはようございます。」と挨拶してくれる人ばかりだったのです。

1回目の時に通行した人々とほぼ同じ人々だったにもかかわらず、です。

「ここに住んでいる連中は挨拶一つできんのか!(怒)」と1回目は思っていただけに、余りのギャップに「あれっ⁉」となりました。

あまり愛想の無かった住民の方でさえ、数分間、私と話し込むことさえ起きました。

その住民の方が仰るには、この場所は、以前は住民も多く賑わっていたようで、近くのコンビニも24時間営業だったそうです。※現在は22時に閉まると言っていました。

従いまして、私が感じたこの場所の波長や雰囲気はドンピシャだったということです。

まだまだあります。

お子さんを幼稚園に送る母親も幼稚園バスを待つ際に、1回目の時は私に目も合わせず無視状態だったのに、2回目は幼稚園バスのために工事車両を移動させたことに対して、物凄く感謝してきたのです。

明らかに1回目の時とは、周囲の人々の雰囲気さえも違っていたのです。

はっきり言いまして、その日は同じ場所とは思えないほど波長が良かったのです。

更にその日は、早ければ昼前から雨予報が出ていたのですが、予報通り11時過ぎから降ってきましたがパラっと降った程度で、昼休憩時に雨脚が強めになりましたが、私は車の中で聖書を読みながら休憩していたので、雨の影響は受けずに済みました。

昼休憩が終わる頃も雨は強めに降っていたので合羽を着て午後から従事しましたが、不思議なもので雨脚が弱くなったのです。

多少は降りましたが、合羽を着なくてもそれほど濡れなかっただろうという程度の降り方でした。

しかも作業の方も、1回目は夕方17時前までかかりましたが、その日は14時前に終了しました。

朝から行われる工事現場で14時や15時に終わることほどラッキーなことは無く、本当に気持ちの良いことが重なりました。

お陰でそれほど雨に打たれずに済みました。

車で帰る途中は土砂降りになっていた時もあり、自宅に着く数分前まで結構な勢いで降っていた雨が、自宅に着く頃には上がっていたので、これもまた不思議な現象でした。

上手く伝わる文章を書くことが出来たかどうか分かりませんが、その日(2回目の現場従事の日)は全くと言っていいほどサタンの波長を感じることが無かった不思議な1日でした。

行きと帰りの運転中でさえ、あまりサタンを感じることなく運転できました。

普段は、毎日のようにサタン的なドライバーに遭遇し、イライラさせられます。(笑)

この日の出来事を通して、神様が私に悟らせたいことがあったのだろうと思いますが、まずは神様に感謝しかない1日でした。

それこそ、11月11日の様な1日を過ごすことが出来ました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました